山道を車を走らせていると景色に吸い込まれそうになることが多い。特に好きなのが雲の描き出す景色。この瞬間だけは僕は多分すごく無邪気な顔をしていると思う。そのぐらいワクワクと嬉しさと楽しさと感動で綺麗な気持ちになる。稀にみる心身一致状態。
山の雲は特に激しく変化し続ける。
脇見運転いけないと思って車を止めるともう違う顔色をしてる。
ある程度のパターンはあるけれど、地形によっても、天候によっても、光の当たり具合によっても、様々な条件のもとその時々の変化を続ける。
そんな雲を写真に収めようとするけれど、たった一瞬でさえも雲の顔を正確に残すことはできない。雲はそれだけ豊かな表情で語りかけてくる。
ましてや包み込む全景として、流れる変化として、環境の一部としての雲なら尚のこと。
だから撮るのが楽しい。決して写真では表し切ることができないから。
そういう意味では、写真は僕にとって言葉と似ている。見たままを、感じたままを伝えたくてその型に詰め込もうとするけど、逆に壊れてしまったり別の何かになってしまって、決して本物を表しきることができない。
土曜日、プチ出張で山道を通ってそんなことを思った。柄にもなくオンラインでワークショップに参加し、とても有意義な時間を過ごさせて頂いた後仮眠してから出発。嫌だなぁと思いながらもカメラを用意したのでウキウキもしてた。
仕事は早く終わったから帰りの山で車中泊して、翌朝の日の出も見て帰ろうかなとも思ったけど、月曜日お仕事だと考えるとやっぱり帰ろって思った。その思考が何より残念。僕のワンダーはちらつく月曜日の影に負けたのである。その程度なのかい?だってぇ、明日お仕事だって考えると楽しめるものも楽しめないって予測できるんだもん。だからその根拠のない予測が嫌い。そう言いながらそれに従う…
これ一番好き
こういう家住みたい
シベリア(お菓子)
日の出前が好き
踊る鳥。僕も鳥になって雲の上飛びたい
もこもこ
高層の薄雲も好き
階層
荒波っぽい
夕焼け積乱雲。雷は上手く撮れなかった。
夕闇と世界遺産