感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

評価 基準 自己顕示欲の人

他人をジャッジして批判する人と居ると凄く疲れる。

こういう人は常に他人を比べて評価している。自分と他人、他人と他人。でも基準がその人固有のもので、僕はそうとも思えないので凄く疲れる。

評価は良くないと言いながらやっていることが同じ。客観的に判断していると言いながら自分の勝手な基準に当て嵌め他人を勝手に評価している。

 

他人を褒める時も比べている。その人の勝手な基準で褒めているので、なんだかついていけない。それはその人は褒めているつもりでもその人の基準で勝手に評価してるだけじゃないかと思う。もうちょっと素直に褒めればいいのに。

 

その会話の中では僕は置いてけぼりになっている。結局その人は自分の見ている世界を押し付けたいだけに感じてしまう。

 

比べている時はその人本人を見ていない。一部に焦点を絞っていて、全体を見ていない。それはその人を現しているのではなく、結局彼の中で自分を反映した一部を見ているに過ぎない。そんな部分的で主観的なもので他人を批判できるものなのだろうか。

どれを聞いていても「そうですね、あなたは凄いですね」と言って欲しくて他人をジャッジしているようにしか聞こえない。

結局は比べることで自分を維持している。だからある人を褒めていてもどこかで別の誰かに対してマウントを取っている。

 

一番疲れるのはその人が他人を否定する瞬間。神にでもなったつもりなのだろうか。

自分たっぷりの主観で見たある人の一部分だけで、自分たっぷりに解釈した一部の知識を以てその人を裁く。聞いていて悲しい時もあるし、ただ辛い時もあるし、可哀想に見えてくる時さえある。

自分自身を認める方法がそれしかないのは、寂しい過去があるのかもしれないとも思う。でもだからといって、その人の言動は僕の中では正当化できるものではない。

だから辛い。

 

自分を反映した基準で他人を裁き続ける以上、その人はその基準と見下す相手なしに自分自身を認めることが出来ない。言動は自己顕示欲に支配されてしまう。そこで完結すればいいのだけど、そのトゲトゲした言動は本人の気付かないところで人を傷つけてしまう。本人がその言動に疑問を感じないので、一緒にいる僕が申し訳なさを感じてしまう。

 

「どうしたら世の中が良くなるか」と言うけれど、その前に自分自身を良くしてあげないといけないのではないかと思ってしまう。言っても通じないから言わないけど。

辛い。