感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

疲れ

精神的にも肉体的にも忙しさから解放された土曜日。昨日の夜は12時間ちょっと、昼寝も合わせると15時間寝てしまった。

ソーシャルな環境に疲れ易い上回復に時間がかかる人間なので、仮に週休2日の生活をしていれば翌日仕事の憂鬱な日曜日しか自由に使うことが出来ない。世の中アンフェアだなと思う。

 

今もまだ疲れからぼーっと眠い。何をするわけでもなく過ごしている時に感じる甘い感覚。身体が「このままでいいんだよ」と伝えているような安堵感。活動的になりたいときはそう感じるもので、こう感じるという事は身体はまだ疲れているか、それともなければ活動的すぎた期間の反動として休ませようとしているのだろうか。

『活動的』と書くとやはり変な感じだ。この語には人と関わることも含まれている気がする。ひとりで活発に活動している時はここまで疲れない。浮かんできた『活動的』という言葉のように、人との関わりを多く含んで活動した後に感じるのがこの疲れ。

 

そう考えると休むというのは人と離れることなのだろう。

家の中でぼーっとするのも、森の中を歩くのも、その点に関しては似たようなものだから。

"Socially Exhausted" "Social Hangover"という言葉がよく合う。日本語に訳すと『人疲れ』だろうか。でもこの語には特定の人間関係に関する疲れという意味が強く含まれている気がするのでしっくりこない。もっとこう、社交疲れ的な言葉はないのかな。

 

まぁいいや。

こうやって過ごしていると昔のことを思い出す。小学生時代もこういう疲れは良く感じていた。でも学校へは行かなくてはいけないし、放課後は友達とも何故か遊ばなくてはならなかった。そんな日がしばらく続いた後に1人で過ごす時間は子供ながら大切だった。

色々あった高校時代もそれを感じたことがあった。生きているのか何なのかわからない状態だった時。全てだと思っていたものを諦め、全てから解放された朝。

あんなに眩しく、甘い朝はあの時だけだった。

やっぱり危ないので別のことを考えよう。

 

ぼーっとしていると気持ちいい。頭もあまり働かない。

海に浮かんでいるような感覚。人間だから浮かぶとイメージされたけど、漂う方が気持ちよさそう。呼吸のことも気にせず、クラゲのようにただ海中を漂うことができたらどんなに気持ちがいいだろう。生まれる前はそうだったのだろうけど、生まれてしまった。

気体の中で重力に引きつけられながら呼吸しなくてはいけない。色んな縛りがあるけれど、ぼーっとしている時はその縛りを忘れることが出来る。

 

明日もゆっくり過ごそう。