感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

僕と嘘 関係の認識

自分の感情の整理です。まとまっていない上に羅列しただけなので、読む価値はありません。もの好きな方だけどうぞ。



世の中は嘘で溢れている。

 

良い嘘と悪い嘘があるというけれど、嘘は嘘だと思う。

良い嘘、許容範囲の嘘、なんて世間の勝手に決めた基準を適応するのは、そこに後ろめたさがあるから通念に逃げてるだけだと思う。正当化の為に通念を利用し投げ捨てている。それは僕の基準では真摯な態度ではない。

嘘をつくのなら、それが嘘という認識があるのなら、その嘘は背負うべきだと思う。その嘘による影響、痛み、悲しみ、それを背負う覚悟がない人の嘘は嫌い。

 

僕の中で許せる嘘は、無意識の嘘。それはこちらが嘘と認識していても相手は嘘と認識していないのだから、仕方がないことだ。責めることは出来ない。でも嘘と認識している嘘は嫌い。

 

子供に対する嘘もできるだけ避けたいが、それはまだ背負うことが出来る。嘘の認識もその都度必要性などと照らし合わせて考えることが出来る。心を守るために必要な嘘もあるだろう。

でも、例えば心を守るためと親が解釈する嘘や、躾のためだと親が解釈する嘘があったとして、それは良い嘘だと言えるのだろうか。

僕は良いも悪いもなく嘘は嘘だと思う。必要だというだけで良いことにするのは不誠実だと思う。子供は自分と違う感じ方をするのだから、良い悪いではなく、嘘は嘘だろう。通念に逃げるのは同じく嘘の投げ捨てだと思う。

 

大人を対象にすればどうだろう。『相手のための嘘』これほど嫌な気分になる押し付けワードも少ない。でも平然とやってのける人は多い。

この『相手のための嘘』を大人に対して使わないで、子供に対して使う場合、子供はその人にとって他人ではないからなのかもしれない。想いは色々あるのだろう。でも僕が子供側だったら理不尽に感じるだろうな。想いに感謝はしても嘘に感謝はしないし、押し付けは辛い。

 

言葉も同じ。その重さを知り、背負う覚悟がないのなら発すべきではないという基準が自分の中にある。そこは他人に適応するところではないけれど、やはり自分の基準を通して周りを見てしまう節はあるかもしれない。

 

でもそんなことを言ってたら僕みたいに無口な人ばかりになってしまうし、世の中回らなくなるのだろう。みんな違ってみんな良いのだから。でも嫌いなものは嫌い。だから嘘をついているかもしれないと感じる時、自分も嫌いになる。結局相手が傷つくのが嫌だからというより、自分が傷つくのが嫌だからなのかもしれない。自分を反映しているのなら両方なのだろうけど、良くわからない。嫌いなものは嫌い。

 

 

昨日の文章、性的マイノリティと色のことを書き終わった後、多分見ているゴールが違うんだろうなって思った。その人達にも色々いて、その中でも多数派になる考え方と少数派になる考え方が出てくるのだろう。ただその多様性を認められる分、彼らは素晴らしいと思う。それだけ。

 

 

嘘についてもそれは関わってくるのだろうか。嘘をつく目的、そのゴール、それは場合によって違うだろうが、人による見え方の傾向はあると思う。そこに彼らが嘘を正当化できる何かがあるのだろうか。

嘘の先に何かを得て、その得たものを還元することで嘘を正当化するのだろうか。ロジックが分からない。

やっぱりこの場合見ているゴールは関係ないかもしれない。

 

 

だとすると何だろう。一つ思い浮かんだ。関係の捉え方かも知れない。

子供という対象との関係の認識が違うように、嘘の対象との関係の認識が違うのかもしれない。

 

例えば誇大広告で、嘘をつく対象が世間ならば、騙される人、騙されない人ひっくるめて世間だ。人は見えない。稼いだお金は世間から会社に入ってくる。それはただの数字で、そこに人はいない。罪なんてない。

 

でも僕が誇大広告が許せないのは、世間という感覚がなく、数字一つ一つに人を認識してしまうからかもしれない。一つ一つが人ならば、嘘はその一人一人に対してつくことになる。会社も人の集合だが、人の気持ちは割ることが出来ない。一つ一つすべては到底背負いきれるものではない。

その影響、人から人への連鎖まで考えれば口を噤むしかない。

 

だから僕はビジネストークもできなければ、そういった広告を見て嫌悪感を抱くのだと思う。究極的には自分が傷つきたくないから。その弱さが自分なのだろう。

出来る人、その役割の人に任せればいい。羨ましくも思うが、その役は僕のものではない。それは明白。

 

金銭的には成功しない人生だろうけど、平穏に生きていきたいな。自分が傷つきたくないし、だから人を傷つけたくない。

馬鹿と言われるよりも、弱いと言われるよりも、世間知らずと言われるよりも、僕にとって嘘は辛いから。

 

でもわからない。分からないけど書いてちょっとすっきりした。今回は自分への戒めとして公開もする。

 

すべてを捨てて仙人になりたい。