感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

『楽しかったこと』から

楽しかったことについて書こうと思ったのだけれど、楽しいというのが何なのかよくわからなくなってしまった。

先ず楽しいというと『あははは』『えへへへ』『いぇーい』っていうイメージがあるのだけど、それをよく感じたのは中学校前半くらいまでだろうか。その頃までは今考えると意味のわからないようなことで狂ったように笑ってたけど、それを過ぎてからはあまりない。少なくとも『楽しかったこと』を思い出そうとしても思い出せない。

多分あることにはあるのだけど、一過性の感覚で記憶に残らないのかもしれない。

 

僕は思春期の頃に色んなことが重なって、色んなブランクがある。一時は感じなくなった感情も今はまた前以上に感じると思っているのだけど、それ以前の自分との継続性が感じられなくて、色々と分からなくなることがある。

そういうことがあったから今の自分なのか、元々の自分がこうなのか、まぁ普通に考えて両方なのだとはわかるけど、それがしっくりこない。色々と繋がってないから。

だからその楽しいと感じていた気がする自分が本当に自分なのかがわからない。

 

楽しいことを書こうと思ったのに楽しくない方向に行きそうなので軌道修正…元気がないとすぐこうなってしまう。

 

気を取り直して、大人になってからはどうだろう。

『子供の楽しい』を同じように感じていそうな大人の人はいるけれど、多分すべての人がそうではないと思う。外向的な人はそのままの楽しいを感じられるのか?と考えても、自分がそうではないからわからない。

 

僕の場合楽しいという感覚はあっても、それに別の感情や感覚が付随していることが多いので、自分の中でそれを『楽しかった』とカテゴライズするのが難しいのかもしれない。『~が~で楽しい』とか、『~だから楽しい』とか意味付けされていて、『ただ楽しい』を感じること自体が少なくなったのかもしれない。そしてそれら理由付きの『楽しい』は『楽しい』とは記憶されていない。

 

あと『楽しかった』という事を思い出すのが難しいもう一つの理由は、記憶の中の区切りが幸せな時間とか、充実した時間とか、そういう風な区分になっているからだと思う。『楽しい』というのは感じないわけではないけれど、そういった時間の一部になっているような気がする。

 

以前日本語教師のコースを受けていた時に、語句を分析する一環として『楽しい』と『嬉しい』の違いを調べた。色々と違いはあるのだけど、今書いていることに関係する部分で言えば、『嬉しいは瞬間的な感情』(ほめられて嬉しい、~をもらって嬉しい等)であるのに対し、『楽しいは継続的な感情』(~[をする時間]が楽しい、~に行って楽しかった)に焦点が当たっているということだった。

今考えれば、「大人になってからはそのこと自体が楽しいと言えるほど楽しいが継続していない」という事かもしれない。だから子供の頃のように「友達と出かけて楽しかった」とか、「あの映画が楽しかった」とか、楽しいを基軸に情報が引き出せないのかも。嬉しかったことはすぐ出てくる。

 

「友達と出かけて有意義な時間を過ごした」その中に楽しいはちょくちょく入ってるけど、その他に面白い、嬉しい、悲しい、恥ずかしい、面白い、辛い、幸せ、疲れる、満たされる、興味深い、寂しい等、様々な感情の瞬間を自覚して過ごしているので、「有意義だった」や、曖昧で包括的な「幸せだった」でまとめなければならないのだろう。前述したように『嬉しい』は瞬間に焦点が当てられるので「友達と会えて嬉しかった」とは言えるのだけど、楽しかったは使うのが難しい。

 

もう一つ書き加えるなら、僕の無意識の中で『楽しい』は優先順位が低いのかもしれない。そういった常に感じている感情の中でも、楽しいは意識して記憶されていないと感じる。僕は何かと意味付けしようとしてしまう所があるので、今までだらだらと書いてきた理由と併せて、あまり意味を感じることがなかった『楽しい』は記憶されてこなかったのだろう。

だから楽しいことに迷うと、友達に「何か楽しいことない?」と聞いてしまう。だいぶ前からの癖。他人の楽しいを聞くのも楽しいのだけれど。

 

楽しかったことを書こうと思っていたら、楽しかった思い出が出てこない言い訳になってしまった。

 

『楽しかったこと』はハードルが高いので、最近『楽しいを感じたこと』を書いてみよう。

 

・友達の誕生日プレゼントを選んでる時

やっぱり色々思い浮かべながら物を選ぶのは楽しい。気に入ってもらえなかったらどうしようとか、もう持ってたらどうしようとか考えてしまうけど、探すことは楽しい。

 

・子供と遊ぶ時間

童心に戻って昔のように遊んで楽しいというよりは、子供が楽しむのを見るのが楽しいのかな。嬉しいでも当てはまるのだけど、その時間はやっぱり楽しいんだと思う。

 

・これを書いている時

自分の中で感じたことを整理して、アウトプットすることはやっぱり楽しいのだと思う。もう一個義務感で書いてるブログは『楽しい』が少ないから毎日は書けないのかもしれない。

 

・人の書いたブログを読んでいる時

やっぱりそれぞれの観点、捉え方、感じ方、表現の仕方に触れられるのはとても楽しい。色んな人生に思いを馳せることが出来る。

でも要点が受け売りでしかも一般化して断定的な書き方のブログはやっぱり僕には合わないのかなと思う。心や感性、人生に触れたい。

 

・本屋のセール

倉庫のような本屋でセールをやっていて、色々な掘り出し物があった。やっぱりこう、自分の好きなものを探す時間は楽しい。何時間も会場を徘徊して物色する時間、面白そうな本との出会い、お金と相談しながらその中から買うものを選ぶ時間、そういうのは楽しいと感じた。ホームセンターを徘徊するのが好きな理由と同じかな。

 

 

最近感じた楽しいはそんなところでしょうか。元々落ち着いているとよく言われるように、冷めて見えるようなので、もう少し意識的に楽しいを拾っていけたらなぁと思います。どのみち感じても外に出さないから冷めて見えるのは変わらないかもしれないけど。うーん。