感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

泣くことの難しさ トラウマと未消化の感情 インターステラー

先月末かな、今までも浮かんできていたのに全然気にも留めていなかったんだけど、僕の中にはいつも泣いてる何かのイメージがあって。それが他の様々なイメージみたいに時々浮かぶのとは違って、額辺りに意識を持っていくと胸の奥にいつもある感じ。

10年以上前だけどLeft 4 Deadっていうゲームをやったことがあって、それに出てくるWitchっていう敵が丁度そんな感じ。うぅぅ…ってずっと泣いてる。

 

何回か瞑想をしたり意識を落としながらそのイメージを追いかけるのだけど、なんだかうまく掴めない。体感は近いところまでいくのだけど、上手く重なれないというか、掴めないというか。何なんだろう。ただのイメージなのだろうか?それにしては…

 

感情解放の練習とかもやってみたけどやっぱり今一つ。悲しみや嘆きを感じないわけではなくて、寧ろもみくちゃになるぐらいそれはあるし、それは何度も何度も確かめてる。元々メランコリックな方だから、軽い憂鬱くらいの方が居心地がいいくらいで、じっくりとそういった感情に浸るのも好き。

ただ、泣くっていうような反応(反射?)的なそれとはちょっと違う。どう違うのか上手く言えない。他人事感?ちょっと違う。泣くっていう悲しみ方に(喜びでもいいけど)上手く近づけない。重なれない。うーん、悲しみの主体は自分なはずなのに、どこかその自分ごと眺めてるような感じ。解離?離人感っていうとちょっと懐かしさを感じるけれど、ちょっとあれに似てるかもしれない。離人感の酷かった時は人形を眺めてるみたいに自分を見てた。丁度そんな感じで感情に飲まれてる自分を遠巻きに観てはいても、自分が泣くような主体ではない感じ。後遺症的なあれなのかなぁ。

主体的な視点に重なることにコントロールによるストップがかかってるのか、切り離されているのか、回路の使い方を忘れてるのか、その辺りは分からない。

 

涙自体は出る。あくびしたら出るし、痛い時、例えば蜂に刺された時とかも出るし、感情的な部分では何かが深い部分で触れたような時はおしっこがちびるような涙は出たりもする。でもこう、それが特定の感情と結び付くわけではないし、感覚的にも泣くっていうのとは違う。

 

今日もガイド付き瞑想を試してみたんだけど感情の解放っていう部分ではやっぱり上手くいかなかった。ただその中で未消化の記憶を扱うのだけど、一つ分かったことがあった。

ガイドの通りイメージすると色々出てきて、僕の中で一番大きいのはやはり高校時代のものだった。指示通りその中の1人のイメージと向き合い、目を合わせ、ガイドの言う言葉をイメージするのだけど、それが最終的に"I appreciate your actions"とか、相手に触れながら"I love you"っていう方向に向かっていく。いや、頭ではI love you の必要性は理解できる。その過去の記憶の相手に縛られた自分に向けているものなのだから。でもね、たかがイメージ相手に目を向けるので精いっぱいないのにそれは無理だよ。

正直言ってそろそろ清算できると思ってたから、進歩の無さにちょっとショックだった。

今1月。一番辛かった冬が18年前。18年だよ?もうすぐ年齢を二つ折りしたらその時期が真ん中に来るっていうのに。いつまで縛られたら気が済むの?いつまで猫に噛まれたネズミなの?

この部分に限って言えば頭の方が冷静だ。頭ではその時期がなければ今がないことはよく分かるけど、それに感謝しろと言われてもまだまだできない。当時の感情は、やはりすっぽりと抜けてそのまま残ってる。丁度あの時期自分を外側から人形を見るように過ごすことで生き残ったように、そこだけすっぽりと切り離されてる。

 

正確に言えばその後の3年間も色々抜けている。それは多分色々壊れていたからなのだけど。でもその色々壊れていた時期が一番まともに泣いた時期で、最後に泣いた時期なのかな。溜めて溜めて決壊するように、何で泣いてるのか分からないのにベッドに潜って何十分も泣くことがあった時期。

その後は元通りではないけれど、徐々にまた生き始めた。フラッシュバックや発作が減ってからは以前の自分は死んだと思うことで気持ちを切り替えて生きてきた。

 

EMDRを受けたんだよね。目を左右に動かすやつ。頑張って表参道まで行って。

2年引きこもった後少しずつ外に出るようになったんだけど色々酷い有様で、C-PTSDの診断を受けた後投薬やカウンセリングを受けたんだけど、根本的な部分では変化がないので自分で調べてEMDRに行きつき、縋るように通った。外傷の記憶が元になって起きる症状に対してはかなり効果があった。

 

ただ今思えば、多分それは記憶を遠ざけて本能的な反射が起こりづらくなるように接続を弱くしただけなんだよね。勿論当時としては必要だったし、受けて良かったのだけど。その記憶は消化されたのではなく、むしろ遠ざけた分同じ形で残ってる。氷山・パンドラの箱と以前書いた気がするのはそういう感覚からだろう。

やっばーい。そのまま残ってることを意識したら急に淡い恐怖が胃を締め付け始めた。ということでこの話はおしまい。

まぁ、進歩の無さに絶望しつつ、これだけ踏み込んでフラッシュバックも発作も起きないのだから時間は外堀を埋めてくれてるのだとは思う。

 

 

ちょっとこのまま終わると絶対嫌な夢見るからさっき観たインターステラーのことでも書こうかな。

今更急に観てみたくなって観たんだけど凄く良かった。実際に宇宙に出た中盤ではこれもうインターステラーどころかインターギャラクシーだろとか思っちゃったけどそれは些細なこと。

中盤までの終末感といい、極限の人間的な感情のぶつかり合いといい、探検心を抱く者のワンダーをくすぐるような描写といい、散りばめられる王道科学・SF理論といい、SFとスピリチュアルのギリギリを攻める態度(これは序盤でマーフが言う「未知を受け容れるのが科学」という台詞と重なる気がする)といい、広大な宇宙的な時間に対する人の持つ時間の儚さの描写といい(僕の小学校低学年の時からの恐怖)、母なる地球を離れた人間のアウェイ感といい、探検者の孤独の描写といい、それらを引き立てる映像美や音楽といい、終わり方といい、ちょっと詰め込み過ぎ感もあるけど凄くよかった。

一番好きなのはトウモロコシ畑でドローンを追うシーン。ジョセフ・クーパーというキャラクターを美しいシーンの中でとても分かりやすく描いてる。

人間に対して広すぎて厳しすぎる部分をしっかり描いているのに、それでも宇宙、別次元、未来、理論、そういったものに対する希望や憧れを後味として残してくれる素晴らしい作品でした。

 

多分3年くらい前の僕が観てたら3割ぐらい否定的に見てたと思うけど、今なら丸ごと受け入れて楽しめる世界観だった。だから今観ようと思ったんだなぁって、そんな気持ちにさせてくれる。

 

映画自体は今まで気にも留めてないのに昨日急に観たいと思ったんだけど、この曲はピアノカバーが好きでyoutube musicでよく聴いてたんだよね。


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この曲のボイジャー感が好き。もう帰れないことを知りながら広大な宇宙空間の暗闇を独り進んでいく感じ。ボイジャー1号2号って今どこ飛んでるんだろう。

 

良い夢が見れそう。