感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

電話が嫌い

急に電話かけてくるの本当にやめて欲しい。アプリでメッセージが送れてそちらの方が確実なのに、何故通話したがるのか。

メッセージアプリのステータスは常に『メッセージオンリー』になってるのに、それでもかけてくる。

やっていたこともやりたいことも手が付かなくなってしまった。

 

どのくらい電話が苦手なのかと言うと、itunesのパスワードを複数回間違えてアカウントがロックされてしまったのを3年以上放置してるくらい。サポートに電話しないとロック解除してもらえないとか理不尽すぎると思う。本人確認の手段なんていくらでもあるのに。取り敢えず使えることは使えているので今はそのままでいいけど。

 

先ず、急に電話かけて来られるとびっくりする。電話そのものにトラウマがある人間なので心拍数が急上昇し、他のことが考えられなくなる。

最近は着信音をできるだけ静かで柔らかいものにすることで対処してる。

家にかかってきた電話は相手が分からない場合は8割方無視する。携帯もメッセージアプリからの着信は相手によるが、無視することが多い。無視すればメッセージが来ると学んだ。そしてそのメッセージも数時間空けて(できるだけ相手によって忙しそうな時間を選んで)返せば、すぐにメッセージが帰ってきたり、メッセージを通話で返されたりするリスクを減らすことが出来ることも学んだ。仕事でコンタクトを取ってくる人相手には相手の就業時間以外で返すと時間が稼げる。

相手に失礼のないように『すぐに出なければいけない』という強迫観念が捨てられたのは大きかった。そもそもアポなしなのだから出られないかも知れないのは相手も承知の上だろう。その強迫観念が出来上がってしまったのは、上記のトラウマと重なる込み入った事情があったから。思い出したくもないので今は書かない。

 

 

会話でもそうだけど、通話だと内容が頭に入ってこない時がある。何か気になる単語が出てくるとそっちに気が逸れてしまって、話が右から左に通り抜けてしまう。それが一度起こると会話についていけなくなってしまう。

そして聞き直すのも失礼かなと思って、適当な受け答えをしてしまう。それが自責に繋がる。

 

元々口数が少なく、言いたいことも頭の中でぐるぐる回って結局出ないことが多いので、会話に間が開いてしまう。対面ならジェスチャーや表情でカバーできる面があるけど、顔が見えない通話だとそれも無理。

 

会話の時の言葉選びに重要な相手の表情も見えない。目の動き、表情筋や頭の揺れ、そういったもので相手の出方を窺っているこちらとしては、相手の気持ちが読めないと何を言っていいかわからなくなる。自分の言った言葉に対する反応も見えないのでどんどん話していることに自信がなくなって、そちらにばかり気が行って会話どころじゃなくなってしまう。

気心の知れた友達ならその辺は想像できるのだけど、そうでないと想像はどんどん悪い方に向かってしまう。疲れるし、内容は疎かになるし、良いことがない。

  

いろいろと書いてみたが、電話が嫌いと言うのはある種の性格型に共通なものらしい。僕もトラウマ云々の前から電話は嫌いだった。経験は一要素に過ぎない。

 

僕にとって、より根源にある通話への嫌悪感はどこから来るのか。

大雨やシャワーの中、感覚が制限されて人の気配が分からない時の恐怖に近い。

恐らく、見えない・気配を感じない相手=『存在を認識できない相手』と会話するという不自然な状況が問題なのだと思う。身体が相手の存在を認識できず、でも声は聞こえ、会話しているので身体が勝手に恐怖を感じているような気がする。

 

ステージフライト的な要素もあるように思う。通話が相手と自分の世界であったとしても、こちらの自分はこちらの環境の中、電話に向かって話しているわけで、周りに人が居れば注目を浴びることになる。注目を浴びるのが怖いというのは、死と隣り合わせの自然の中では当然の恐怖だろう。注目に快があればそれは自然に薄らぎ、消えるのだろうが、僕にそのような快の経験はなかった。

自意識過剰とかそういう事ではなく、身体が反応するんだもの。

プライバシーは大事。

 

携帯の通知も重要なの以外はオフにしている。

電話はやっぱりオフにするわけにもいかず、携帯とのお付き合いも難しいなぁと思うのでした。