感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

思い込み 感情の蓋 弛緩と緊張 見えた「怖い」

コントロールが邪魔して蓋を開けられないから泣けないのかと思ってたのだけど、どうもそうではないということを指摘してもらうことで気づけた。

最初のイメージとしては固い蓋があって、それをこじ開けようとするのだけど泣きそうになるとスイッチが切り替わって蓋を閉じる方に力が入ってしまう感じだった。

 

でも「蓋は空いているように見える」「取れないと思い込んでるのでは」って言われた時に試しに取れると思ってみると凄く色んな不安や恐怖が湧くのが見えて、あぁ…って思った。

あぁ…っていう反応なのは、どこかで気づいていたからで、またこのパターンだっていう感じ。思い込み。

思い込みって指摘されると嫌な感覚が湧くものだけど、反発はなかった。不安、落胆、希望、恐怖、色んな感情が巻き起こる中、どこかで見抜いてもらえたのが嬉しいと感じている自分が居ることには気づいた。僕がその言葉をすんなりと受け入れられたのは関係性と信頼があってのことだろう。とっても感謝してる。

 

そこから一晩思いを巡らせ、コントロール、感情の蓋を開けるという動作のイメージは大分変化した。

緊張と弛緩。感情を出すのに必要なのは弛緩の方なのだと思う。でも僕は感情を外に出す場合、必要に応じて力むことで出していることが多い。これは結構昔からで、ある意味では感情の表出が演技、表現と同義になってしまっていたからだと思う。

演技や表現から実際の感情を引き出すっていうセラピーがあるけれど、それも弛緩があるから出来ること。力んでしまえば演技止まりになってしまう。

 

力む。

泣いている子供は力んでいない。任せている。

泣くのを我慢している子は手を握りしめ、歯を噛み締め、眉間に力を入れて力んでいる。

泣けないと言いながら後者と同じ動作をしているのが僕。

 

「いつか抑えなくても~」って言ってもらって気付いたけど、押さえるじゃなくて抑えるなんだよね。思い込んでいた時は感情をおさえるって言葉のイメージも押さえつける感じのものだった。だからコントロールを別の方向に働かせて蓋を引かせようとしてた。抑えるの場合は違う。抑えないようにするというのはlet goだ。放す。任せる。蓋から手を放すこと。

 

単純で当たり前で知っているはずなことなのに全く違って見えてしまう。思い込みはいつもそう。

 

僕が泣けないのは自ら蓋を押さえつけてるから。開こうとする素振りだけして、ちょっとずつ開けようとして、いざ開きそうになると閉じる側に力を入れてる。コントロールという意味ではすべての動作をその中に入れてる。

感情のコントロールとは感情を出すことも含めてコントロールというけれど、そういう意味では別のことをしてる。

 

それでもずっと、自分がしているコントロールが煩わしくて外したい外したい、いっそ壊してしまいたい、動物になりたいと思ってきた。動物に失礼。

 

感情で失敗したことがどれだけあるかは分からないけど、外に出される感情に翻弄された幼少期の家庭体験で、感情を出すことをネガティブに捉えているのはあると思う。僕がお酒飲まないのもそれが手伝ってるしね。

元々の気質がどうなのかはもう分からない。

 

全て意識下に置いておかないと気が済まない所があって、自分がコントロールできなくなりそうなものには手を出さないという手段でそれすらコントロールしようとする。よくよく考えればちょっと度が過ぎているかもしれない。

 

何でそんなにコントロールしたがるのか。コントロールを外したらどうなるか、そこでいの一番に出てくるのは「怖い」だ。一言でいえば怖い。怖いよ。怖いがいっぱいある。それに続いて不安やら色々が出てくる。誰かしらが出した感情にまつわるトラウマだらけ。わかるよ?それをトラウマにしてるのは自分の受け方だって。でもそんなの子供には分からないよ。

 

それだけじゃない。トラウマを解消しようとして記憶に向き合おうとした時に出てきた色々に翻弄された記憶がトラウマになってる。それはここにも以前書いた。パンドラの箱だったって。

はっきりした歳は覚えてないけど、CPTSDの診断を受け、暫く薬漬けの日々を過ごした後どうにかしなきゃと思ってEMDR療法を受けた。当時電車もダメになってたけど頑張って乗ってね。

EMDRは目を左右に動かしながら記憶を消化していくような作業を何回か続けて受けるみたいなのだったと思うけど、その帰り道、抜けている記憶がある事に気付いて、それを開けた。それが本当に氷山が崩れるような感覚で、どっとその中から感情やら記憶やらが一気に出て来て、本当にわけわからなくなっちゃった。道中の記憶はもうないのだけど、なんとか家に着いてからは薬色々飲んで一刻も早くと意識を落とした。

本当にひどい経験だった。フラッシュバックもきついけど比じゃなかった。単体じゃなくて塊が来る感じが全然違った。

それが本当にトラウマになってて、感情の蓋を開けることに対する一番大きい「怖い」はここに繋がるんだと思う。そしてこの時に蘇ったものはまた解離してしまって手の届くところには今も無い。人間って本当に都合がいい作りをしてるんだろうなって思う。

 

単純な話、この仕舞われてる記憶っていうが感情の蓋を開ければ出てくるものな気がしてる。だから怖いのだろう。トラウマにおいては記憶と感情はある意味同質だから。

記憶の氷山だってその時に崩れたものが全てだかは分からないし、他にも何が出てくるか分からない。感情のごみ屋敷だからね。未消化の感情の消化とかやってはいたけど、焼け石に水程度のもの。第一の本丸はここにある。

 

逆に言えば、蓋を開ければ記憶が繋がるかもしれない。そうすればどこか途切れた自分、外傷体験の最中だけでなく、それ以前の自分とも繋がるかもしれないという希望はあるかも。少なくとも、事後作られた自己ではなくなる。それを将来的に必要として、その準備として今回自分を崩し始めたのだった。そこでこの思い込みが外れたのだから、準備ができたと捉えられるのだろうか?

 

でもこればっかりは踏ん切りがつかない。今は状況が違う。家族が里帰りでもすれば自己対峙する時間というか、空間は出来るけど、そうでもないと難しい。僕にとって家族はそれを晒す対象ではないしね。変なとこプライド高いんだよなぁ。

 

それだけじゃない。蓋を開けるのに弛緩が必要と思ったのはいいけど、そのリラックスはどう確保できるだろう?想像しただけで強張っちゃうのに。この感情の蓋に対峙するのは一人じゃ難しいと思っていたのは多分これに繋がる。安心感、それこそこの前書いたお姉ちゃん的な存在はそれを求める自分が居るからなのだろう。

でもまぁ居ないし、瞑想か何かでどうにかするしかないかな。でも多分厳しい。

 

本当なら睡眠薬とか安定剤とか用意したいレベルだけど、今更そっちに戻りたくもない。それでいざODでも起こそうものならそれこそ姉さんに合わせる顔もないしね。

 

感情を出すためのリラックス、ちょっとずつ出せるように練習するにも、いつドカッと出てきちゃうか分からないからそれも怖い。怖いことだらけ。

怖いと思うと力を緩められない。そこにもまた思い込みがあったりしてね。そうだとしてももう何も驚かない。

 

プロを頼る?流石にここじゃそんなプロいないよ。居てもこんなやり取り外国人の僕には難しい。日本に戻った時が機会かな…いつ一時帰国するんだろうか。

いや、プロに頼るって、そんな短期間に自己開示して更に身を任せられるほど相手を信頼できるだろうか。僕が。やっぱり一人暮らし期間ができたらそこでってなるかな…

 

 

こういうこと考えてるとつい溜め息が出ちゃうけど、全体的にそれでいいって思うことにしたんだった。深呼吸する。意識を広い方に戻す。ゆっくり。大丈夫。

今手は出せなくても大きな一歩なはず。

 

とても大きな気付きでした。ありがとう。

 

 

昭乃さんを貼って浄化しとこ。


www.youtube.com

 

この曲も大好き。この曲最近プレイリストの上の方に移動した。そういう気分なのだと思う。精神安定剤。

信長の野望に入ってた曲らしい。やったことないや。

この前気付いたけど、昭乃さんって母と同い年らしい。そのくらいなのは知ってたけどぴったり同じ年だとは思わなかった。

そんなに上なんだぁって思うくらい純粋な可愛らしさを今でも持ってるのに、結構若い頃から光も闇も包み込むような、とても受容的で深い温もりのある歌を作ってる。不思議な人。大好き。

 

あとこれ最新アルバムの『ミツバチの羽音』に入ってるdream,dream


www.youtube.com

アルバムの中でこの曲が一番好きかも。

昭乃さん初のLyrics videoらしいけど動画の雰囲気もとても好き。もっと出して欲しい。