何でオフィスに行くとこんなに疲れるのかと考えていた。 もうなんかその場にいるだけで消耗するから、仕事とか関係なく時間まで耐えると達成感すら感じる。
僕は多分常に間合いをはかってるんですね。
パーソナルスペース云々の問題ではなく、会話だけの問題でもなく、例えば視線においてもそう。目が合いもしないのに入り込まれた感覚がする時もある。
それは僕の油断を突かれた(と感じている)ということなのだろうか。勿論そこにはそこに付随する相手の感情が大きな意味を持つことになる。
とにかく常に事前に他者の動きを予測しようとしていて、それが消耗に繋がっているのではないだろうか。
でもこれは必要があってそうするようになるものだと思う。
なぜ間合いが必要かと言えば、それがなければその相手が意識せずとも僕はズタズタに斬られることがある。こっちが勝手に斬られている面もある以上故意ではない相手を責めるわけにもいかないし、まぁ結局は相性なのだと思う。
傷つき易いことを否定することも、強くなろうとすることも違うという結論は1年以上前に出した。だからまぁ今はただそういうものなのだと思ってる。
だからまぁ、この間合いが今の僕に必要なら、そしてそれで消耗するのなら、それを前提としてどう振舞うかだろう。
間合いというのは距離や挙動の問題ではない。相手がどう動くか、それを予期する為にはシミュレートすることが必要になる。僕の場合はそのプロセスが間合いをはかるために大事で、それは知覚した感情的な情報を思考と練り合わせるプロセスなのだと思う。
それは昔、画面分割の対戦ゲームを友達とやっていた時、相手の画面ばかりを見てプレイするのと似ている。友達の画面に映る自分のキャラクターを見て、それぞれ友達のパターンからどう動くかを予期する(予備動作にちょっとした違いが生じるから、顔を見なくても違うことをするときは分かったりする)。
それでも互いに同じことをするようになるから、裏をかきその裏の表を見せ、なんてことを繰り返し、時には勝ち負けが動作の前に予期できて互いに笑ったものだ。
ゲームなら笑って楽しめるけれど、現実の対人関係はそうもいかないのね。ただひたすら疲れてしまう。
予測したところで結局入ってくる人は入ってくるし、ダメコンにはなっても完全に避けることは出来ない。できなくしているのは自分なんだけど、でも避けたら避けたで僕のその行動のせいで相手が傷ついたらそれはそれでダメージだし…
それも結局自分を通してしか見ていないというのは分かるのだけど。嫌だね、この思考。だから猫に憧れるのだろうな。
それでね、今オフィスには大学生のインターンが来ている。
2人が交互に来ているのだけど、与えられている仕事内容が雑用と置物にしか見えなくて僕はいつも悶々としている。何のためのインターンなんだろう。文化の違いもあるし、本人もただ卒業したくてインターンに来ている可能性もあるから、僕は余計なことは言いたくなくてただ悶々としている。
せめてこう、業界的な仕事を与えたり、作業を紹介したりしないのだろうか。事前にこう、何に興味があるのかとか何を学びたいのかとか聞かなかったのだろうか。
間合いの話だったけれど、僕は間合いをはかるのは得意でも探ったりジャブいれたりするのは得意ではないのです。だからこう、最初はある程度踏み込んできてくれないとやりづらくて仕方がない。
少しやり取りがあれば程度分かるのだけれど、似た者同士になるとそれはそれで最悪で、互いの間合いが分かっても蒼天の拳の霞拳志郎と劉宗武の闘いみたいになってしまう。
インターンのうち一人と僕は、互いに察し合って会話に発展しない状態になってる。簡単な会話に簡単な返答はあるのだけど、まぁ、互いにそこに甘んじているのだろう。
だからこう、一歩踏み込んだ質問やアドバイスがし辛くて僕は悶々なんですが、僕は立場的に余計なこと吹き込むのもなぁ、というのもあって。
担当している彼らに何か言うのもそれはそれで面倒だし、そもそもインターンからも不満の空気は感じていないからそれを敢えて乱すこともないかな。でもこれってインターンなのだろうか…うーん…
間合い。
北斗の拳とか格闘、武術系の作品と、対人関係におけるそれぞれの性質を重ねてみると面白そう。僕はラオウになりたい。半分本当で半分嘘。