感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

口から出なかった言葉、下書きに溜まった文章 僕のコア・バリュー

このブログを書き始めて良かったなと感じることが沢山あります。やはりアウトプットが苦手な分、例え匿名であっても、人に読まれることを前提で文章を書くのは気持ちの整理の面でも重要なんだなと思っています。

自分の中で思っていたことも、書いてみるとそのプロセスの中でその理由に気付いたりしますし、新しい疑問にも巡り合うことが出来ました。自分の価値観の根源も以前より見えてきた気がします。

実は投稿できているのは書いてみた文の半分以下です。残りの半分以上は下書きに留まっています。途中で気が逸れてしまったもの、なんだか自分の中で納得できていないもの、公開すべき内容なのか迷っているもの、色々です。

以前ならやっぱり駄目だと落ち込むところですが、今はそれはそれでいいのだと思えています。自分らしいというか、やっぱり自分そのものだなって。

 

そういう所は普段の会話でも変わりません。幾度となく悪いところだと言われてきました。やっぱりある種の人は見ていてイライラするようです。でもよくよく考えればそういう人のその姿勢を僕は快く思っていませんでした。ならお互い様でしょう。僕は言い返さないけど、それでいいのです。僕はその人ほど積極的ではないけれど、それは人を傷つけないこと、失敗で自分が傷つかないことに意識できないコア・バリューがあるのだと思います。それだけ言葉の重みを知っていて、発言を精査しているとも言い換えられるでしょう。ならそこが違う、それでいいと思えるようになりました。相手・世間の価値観の土俵に入らなければ良いのだと思います。

向こうの価値観・世間の価値観ではなく、自分の価値観で自分自身を捉えられれば他の部分も認められるようになる気がします。

 

以前中学時代の友達に、「お前ってトキ(北斗の拳)みたいだよな。気づくと既に質問を受け流されてるんだよ。」と言われました。相手によっては傷つきそうな言葉ですが、彼は価値観の外で、お互いひとりの人間としての付き合いの中で、そう言ってくれました。だから彼からは棘を感じませんでした。

このような一般的な価値観の外での付き合いは貴重なので、大事にしようと思います。互いの価値観がバッティングしないんでしょうね。僕にとっては楽な関係です。それでも言えないものは言えないのです。

 

最後に笑い話。僕は15年ほど前、英会話に通っていました。その時によくあったのが、理解できるのに会話が続かない。言いたいことが出てこない。英語は向いてないのかなぁとも思いました。でも、普通に会話できる、今僕がいる国の言葉でもそれが起こります。

『言いたいことが出てこない』そもそも日本語で考えても何を言いたいのか定まっていませんでした。結局同じことだったのです。ならそれが自分なのでしょう。

 

口から出ずに仕舞い込んだ言葉、公開せずに下書きに溜まってる文章、どちらもその内的なプロセスを重視するなら意味があるものだと思います。その溜まったものが、自分を形作っているし、自分の内側の世界に彩を与えているのだと思います。ただその為には捌け口が必要で、ここがその役割を担ってくれ始めました。

 

そもそも意味は見出すものだと思うので、この世のすべてに見出すことが出来るでしょう。なら、意味のないことはない。それでいいと思う。これで少しずつ振り回されない自分になっていく道筋が見えてきた気がします。振り回されても自分の価値観の中で振り回された理由を見出せばいい。それは言い訳ではなく、自己肯定の一種に繋がると思います。

 

他人の価値観の中で生きるのは大変だけど、一歩外れて自分を生きる手段は沢山あります。自分なりに生きるのに道を探さなきゃいけないのは大変だけど、それはそれで意味があったと思える日が来るでしょう。

自分勝手な文章ばかりですみませんが、すべて個人の感想、そういう場所だと思ってお付き合いいただけたらと思います。では!