感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

怒りと友達に

昨日とある動画で「怒りは防衛反応なので、怒りを分析することで自分の内にある価値観を掘り起こし、それをインナーコンパスとして利用する」という方法を見かけました。自分の感情を分析するのは得意なので、感情のアウトプットが苦手で、すぐに曲解させて押し込めてしまう僕にとっては自分を見つめ直す良い方法だと思いました。

 

今朝いつものように車を運転していると、いつものように複数の車に横入りにあった。ここで感じたのは複雑だが、怒りも入り混じった感情だった。僕は、自分はルーズだし、ルールを守らない人にも寛容な方ではあると思っているが、この横入りにはなんとなく嫌な感情が湧く。自分の中で分かっていたのは、彼らの大半がチャイニーズであることは何にも関係がないということだけだった。

その感情を分析することで気づいたのは、『横入り』という行動自体に怒りがあるわけではないという事だった。

怒りが湧くのは大体ラッシュ時だった。車が少ないときに横入りされてもなんとも思わない。恐らくラッシュ時においては、たとえ自分が急いでいなくても、周りの『急ぐ気持ち』に影響を受けている。そこで7割方の人々が守っている本来の交通ルールを破ってまで横入りすることは『自分を優先すること』だ。更に掘り進めれば、自分を優先するのは『他の急いでるかもしれない人々を蹴落とす行為』だ。

そしてそこで気づいたのは、より強く怒りを感じていたのは『横入り』自体ではなく、既に並んでいる車線の人を威圧してまで強引に割り込む、即ち他者の気持ちを顧みない自分本位の態度だった。そのどちらが許せないのかと言えば、『他者の気持ちを顧みない』部分な気がする。他者に気を配ってくれるなら自分が一番だと思っていてくれても構わない。あり得ないけど。

 

僕が『横入りの何が気に食わないのか』から掘り出せたのは、『ルール違反』や『自分優先』ではなく、そこから感じ取れる『他者の気持ちを顧みないことに端を発する行動だから』、ということであった。ルール違反でないのは何となくわかっていたが、不公平や優劣感でもなく、『誰かが気分を害するかもしれない』という部分にあるのは気づかなかった。しかし、僕が感情を含め、様々なアウトプットを躊躇してしまうのも恐らくそこに根差しているという事は分かっていたので、かなりスッキリする発見であった。

 

なぜそこまで自分ではなく、他人の気持ちに防御反応が働くのだろう。それはきっと何かの裏返しなのだろう。あとは自分なりに、自分である為に、更に掘り進めるのか。それともパンドラの箱を開けてしまう前に掘り起こすのはやめて、出てきたものをどう捉えていくかだろう。でも今はまだそのままでもいい気がする。

 

これからはもう少し負の感情と思い込んでいたものも感じることを怖がらずに、そして怒りとも友達になっていけたらと思います。