感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

2020年最終回

2020年も終わりですね。

最近はあんまり投稿してなかった。時々書いてはいるのだけど一度で書ききらないから、その時の気持ちになれずやっぱりいいやってなって。まぁ成り行きに任せて2021年も続けていこうと思います。よろぴくね!

 

今年は振り返ってみると、精神的な安息はあったようで中々過酷だった。外側で忙しければそれはそれでストレスだし、困ったものだなぁと思う。でも変化は起きていて、その変化のためにそれらはすべて必要だったと思えばそれはそうだとも思うから、まぁいいのかなとも思う。

来年は外側で色々な変化があるような気がする。若干の不安もないと言えば嘘になるけど、まぁ何とかなるだろうと思う。唯一の問題は、自分が納得できる方向に迎えるかということ。結局それに尽きるから、外側ではなくやっぱりまずは内側の問題だろう。そのための2年間だった。多分。それがこう、双方の変化が上手く協調していけるのかってことなのかな。

なんか他人事みたい。まるでまた夢を見ているよう。

 

夢もそう。最近は象徴的な夢が多い。起きてふと本当に夢なのかって思うようなのもあった。不思議。どっちがどっちだか分からなくなる。

“Death is an illusion, life is a dream and you are the creator of your own imagination.”  — LJ Vanier

現実が曖昧で想像が自分にとって大切なら、自分なりの現実との付き合いをした方がいいのかもしれない。現実が手段になったところで結局回り回るのだろうから。

年の瀬に何を書いてるのだろう。笑える。まぁ来年はそれぐらいの気持ちでいこうかなぁと思った。

 

今日は茶蕎麦を2袋買ってきた。200g450円。2袋で900円っすよ。日本からの輸入品は高い。僕は正直年越しそばとか別に食べないでもいいかなぁって思っちゃうのだけど、日本的な年越し感の思い出ってあった方がみんな楽しいかなとも思って。おせちはないから、このお蕎麦でしめてお正月はお寿司(もどき)でも食べに行こうかなといったところです。

 

今日のお蕎麦はしめじと人参とほうれん草の軽めのお蕎麦にしようと思う。そろそろ作ろうかな。厚揚げ豆腐っぽいのも買ったんだけど、こっちのお豆腐美味しくないから入れるかやめるかは考え中。はい。

 

ということで今年一年間もありがとうございました。皆さま良いお年を!

It's alright から CLANN "I Hold You"

これ大好き。何回も聞いちゃう。


CLANN - I Hold You

 

Rest now, my love
It's all right
The dark is gone
I'm here
I hold you
(I hold you)


Rest now, your heart
It's all right
We're all right
Although you're gone
I'll be here to hold you
I've got you


Will you breathe through me?
And calm the storm inside
Just breathe through me
We'll keep the fires alight
I'll face down the world with you


I hold you
I'm here
To hold you


Will you breathe through me?
And calm the storm inside
Just breathe through me
We'll keep the fires alight
I'll face down the world with you


Breathe through me
And calm the storm inside
Just breathe through me
We'll keep the stars alight


I've got you


提供元: Musixmatch
ソングライター: Charlotte Loseth / Chloé Picard / Sebastian Mckinnon

この“It’s alright”で時々涙が出る。ある意味一番の受容の言葉だし、許しの言葉でもあると思う。理解や尊重も含むのかな。

 

最近は以前程に自責はないのだけど、「いいんだよ」「大丈夫だよ」って言われて何でこんなに解放された気持ちになるんだろう。どこかでやっぱり張り詰めている。自分自身を楽観的だと思うのはそれを装ってるからなのかな。悲観を隠すために憧れを偽装に使っているのではないか。ほら、また無限の疑念に埋もれる。その先に答えがないことはよくわかったから、これ以上は考えないけどね。

 

時々何もかも放棄したくなる。知り合いが見たらこれ以上何を放棄する気だって笑うだろうけど。息をするだけで辛いというのは言い過ぎだけど、辛いものは辛い。その対象がある程度目に見えないと正当性を持たないのがまた辛い。その正当性があればせめて自分自身には許されるかもしれない。ってことはやっぱり許してないの?何でこう、自分って難しいんだろう。

 

どうしたら自己一致できるのか。どうしたら静寂に辿り着けるのか。でもそれって高望みなのかな。僕はここ数年それを次のスタート地点だと思ってきたけど、もしかしたら生きている限り得られない類のものなのかな。ではこれを抱えながら何かやっていかないといけないの?それともそれを紛らわせながらできることを見つける?どちらも僕には向かないと思うんだけどな。

みんなどうやってるんだろう。

 

Will you breathe through me?
And calm the storm inside
Just breathe through me
We'll keep the fires alight
I'll face down the world with you

この部分もとても好き。こんな風に言ってくれる人がいるなら僕は存在していける気がする。それは別に生きている他者でなくてもいいのかもしれない。自分の中の存在であっても、感じるだけの存在であっても。

どれだけ理解されたがってるんだって話だけど、そもそもこの世界では完全な理解なんて出来ないしされないのが前提で(だから努力できる)、生きている限り孤独だと思っているから、孤独だけならそこまで辛いとも思わない。でも、何でこんな思いをして人は生きるのだろうって思うことはある。個体よりも大きなレベルで生きるためにそんな思いをするのだろうけど。でもそれってロジハラじゃない?なんか笑える。

 

どこかで肯定されたいのかな。その大切さは理解してるつもりでも、自分に当て嵌めると途端に肯定なんてって思う。そう思うからこそなのかも。自己完結できればなぁ。無い物ねだり。

 

意味のないことで勝手に苦しんで立ち止まってる人と言われそうだけど、僕にとって本当に無意味なら苦しまないし立ち止まりもしないんだよね。それでいいと思えるのならいいじゃんって話だけど、そうじゃないから人間って難しいなって。難しくしてるのは自分なんだろうけどね。まぁいいや。

 

 

あと一週間で今年が終わるよ!一年が終わると考えるとまた一年間無為に過ごしたようで辛くなるからやめよう。

「もうすぐ地球が太陽を一周しますね。」「もうすぐ太陽があの位置に戻ってきますね。」「もうすぐフキノトウが顔を出しますね。」どれでも選んで好きに使ってね。

 

楽しいことを考えよう。もうすぐクリスマス。プレゼントは用意したから皆楽しく過ごせるといいな。やっぱりみんなが楽しいのが一番だよね。ケーキも買いたいけど売り切れちゃうかな。代用品も考えとかなきゃ。

皆さんも楽しいクリスマスをお過ごしくださいね!楽しめない人はもうすぐお正月だから、あといくつ寝るとお正月か数えてね!

”The Last Thing You'll Remember”から 死別から思う出会いと別れ

これ

 


The Last Thing You'll Remember

 

"People often say: live everyday as if it’s your last but you hear far less commonly to live everyday as if it were someone else’s." (10:17)

 

この捉え方、僕には合うかもしれない。

自分が明日死ぬかもしれないと思って生きたとしても、その日を、そして誰かとの最後の一日を大切に生きれる気がしない。そんなことを考えたのなら、弱った猫のように人目につかないところで過ごした方がいいって思っちゃう。

 

でもそれが誰かとの最後の日だと思うのなら、大切に噛み締めて過ごそうと思える気がする。急な別れというものは本当に悲しいし、悔いがある場合はずっと引きずる。

もし相手ではなく自分が死ぬ側なら、そんな苦しみには終止符が打たれるのになって思いがちだけど、誰かとの死別の悲しさや悔い、それらを思い出した時、そこに自分を当てはめて相手に同じ気持ちをさせるのはよくないと思うこともできる。

自己中心的な思考態度だから自分以外の死に触れた時の感覚というのは大きな意味を持つのだろうか。要するに、相手側から自分を見て自らの経験を自分自身の鏡に映さないとそう考えることができない。

 

だから、その人と会えるのはこれが最後かもしれないと思うことは、別に相手の死を想う事ではないと思う。焦点が当たっているのはまだない後悔であって、それを自分が負わないように、そして相手に負わせないようにという思い。それが一緒の時間を丁寧に過ごそう、嚙みしめようという気持ちに通じる。

大事なのは、会えるのはこれが最後かもしれないという気持ちであって、ふたりを分かつものは死とは限らない。友達が急に結婚して忙しくなって会えなくなる、というのも同じことだ。死別の後悔というのは、ここでは自らの経験を通してこれからの人との関係の中での自分の在り方を考える鍵として作用するものだ。忙しくなって会えなくなった友達のことを想っても、それだけだと「これからは人との時間は丁寧に過ごそう」とは中々繋がらないものだと思う。

 

だから、「生きている人の死を想うなんてけしからん」というのは少し違うと思う。とマジノ線並みの予防線を張っておく。

 

性格的な問題もあると思う。僕の場合自己中心的で内側では感情的だから、そういう順序だっていうことで、それが合う人も合わない人もいるはず。こんな遠回りしなくても人との時間を大切に過ごせればそれでいいし、感謝して瞬間瞬間を大事に生きられるならそれに越したことはないのだしね。

 

まぁほら、僕らはmortal lifeに生きているわけで、死は必ず訪れるし、そこでの出会いに別れはつきもの。死を見つめてこその生であるなら、別れを見つめてこその共に過ごす時間なのだと思う。

だからこそ、当たり前の関係に甘えず、丁寧に全力で、与え受け取り、見つめ合い、感謝しようって思うこともできる。

 

勿論反省も込めてね。

最近消化試合感が凄くて、でもそれに身を任せすぎるのもよくないなぁと思えたのでした。自戒。

 

急な別れ、悲しみ、後悔。

この動画を見てこの気持ちになれたのはあの人のおかげでもある。ありがとう。

やっぱり乗り越えられないや。

流星群から

今週末はふたご座流星群だったよね。こっちは今の所曇ってて見えそうもないなぁ。明日は見えるかな。まぁ、蚊が多いからあんまり外で見てられるわけでもないんだけど…

 

流れ星、降ってくる物質。回ってきた地球に吸い寄せられ、光を放って燃え尽きる。そして分解され、地球の一部となる。

 

それがいつから、どれだけ長い年月をどれだけ広大な惑星間を漂ってたのだろうとか考えると、僕たちにとってはほんの1秒に満たない光景であっても、それは人間の時間感覚を超越した物語り。生物的な時間でも、歴史的な時間でも、地球的な時間でもない。それよりも一層は外側にある時間が一筋の光として一瞬僕らの目に映り、消える。凄いなぁって思う。一体どれだけのものがそのそれぞれの一瞬に詰まっているのだろう?

 

そしてこの先、物質的に地球の一部になったそれは、僕だったものが地球の一部に還った後、同じ時間を過ごすのかもしれない。本当に途方もないスケールで。地球に落ち、その引力に囚われたもの同士、どれだけ長い時間を過ごすのだろう?

そう考えると流星体がその形として放つ最期の光はロマンチックな邂逅の光でもあるのだろう。

 

でね、話は少し変わるのだけど、目に入った流星が処理される脳も宇宙と構造が似ていると話題になるじゃない?記憶から内面で映し出す流星もその中の地球的なところで実際に起こってるなら素敵だねって。深夜のテンションで意味の分からないことを書いてるのは承知だけどね。でもさ、どれが本当でどれが本当ではないかって話なら、どれも本当でどれも本当ではないくらいの方がしっくりくる。そうやって想像に飲み込まれていくんだけど、だからこそその想像を否定するのは良くないのかもしれない。想像って何だろう?現実って?

 

なんていうことを考え始めるときりがないのだけど、要約すると「流れ星って綺麗だよね!」ってことです。それを見てる瞬間だけは少なくとも、present momentなんだよね。でもその見たものがね… 

これは無限ループのパターン。ということでお開き!

 

なんてこと書いてたらいつの間にか雲どっか行っちゃった。ちょっと空見てこようかな。

新しいイヤホン

注文してたイヤホンが昨日届いた。

今まで使ってた台湾製はすぐ断線してダメ。音にそこまでこだわりがあるわけじゃないけど、音もあんまり好きじゃない。一応修理はするけどスペアに降格しようと思う。

 

こっちではまともなイヤホンは殆ど売っていないので、買うとなると通販。でも少ししっかりしたものを買おうとすると常にまがい物を掴まされるリスクがある。まがい物でも聞こえればいいのかもしれないけど、偽った自分で勝負する姿勢が気に入らない。仮にまがい物つかまされると遠いからいちいち返品するのも面倒。ということで通販サイトで日本から買った。

 

ケーブルがひ弱そうな点以外はとても気に入ってる。まぁでもケーブルはこの価格帯だと仕方ないかなとも思う。気をつけて使おう…

 

Bluetoothイヤホンはイマイチまだ信用できない。こうやって新しいものに対応できないおじさんが出来上がっていくんだろうなぁとしみじみ思う。

 

今までのイヤホンは少し長くつけてると耳が痛くなったのだけど、このイヤホンはそれがない。小ぶりで軽く、パッドの触り心地も良い。小さいから寝転がりながら聴いていて、ふと寝返りをうった時も外れたりしないし痛くもない。すごくフィットする。

 

音もキンキンシャカシャカしないし、それでいて聞こえる音の範囲は広い。今まで聞こえなかった音や楽器も聞こえたりする。まぁまず比べる対象が悪いんだけど…

ピアノも心地よく跳ねる感じがあるし、弦楽器も奥深く聞こえる感じがする。

やかましさというのか、そういうのがないのはとてもいい。全体的に丸いというか。物足りないと感じる人はいるのかもしれないけど、僕には丁度いい。

ということでとても良い買い物でした。

昔はaudio technicaが好きだったんだけど、暫くはfinalでいこうと思う。

 

イヤホンによっても聞こえる音があったりなかったり、聞こえ方が違ったり。何でもそうなんだなって思うし、それが幾重にも重なって今の自分の感覚があって、それはやっぱり自分だけのものなのかなと思う。本当はもっといろんなカスタムを試してみたいけど、彼の感覚は彼のもので、彼女の感覚は彼女のもので。

これまたいつもの流れじゃん。何回それを確認すれば気が済むんだろう。

 

まぁほら、聞こえ方が違っても、それがどうしようもないことであっても、同じ曲を聴いて同じような方向で感じられたなら、そしてそれが確認できたなら、実際は全然違ったとしてもそう思うことができたなら、とても嬉しい気持ちになれるよね。ほら、東京砂漠的な感覚で。

ゾンビの夢 忘れた夢 昨夜の月

昨日の夜は悪夢の連続であまり寝た気がしなかった。一番最後に見た夢はゾンビの夢。ゾンビの集団から逃げるも追いつかれ、腕や他の部位を噛まれ、最終的に殺される。

寝てるのに恐怖して逃げて、しかも噛み千切られたり殺されたりで、朝から疲弊してた。

 

一番残念なのは、その前にもっと意味のありそうな夢を見たけど内容を忘れてしまったこと。第三者視点の夢だったのは覚えてる。ちょっと目を覚ました時にしっかり覚えとこうと思ったのに、ゾンビの夢の恐怖と衝撃で上書きされてしまった。

やっぱり思い出せない。何だったんだろう…いっそそれを見たことも忘れてしまえばよかったのに。不便だなぁ。

 

悪夢を見ることも夢の中で死ぬことも、最近は少なかった。折角ゾンビに噛まれたのなら自分もゾンビになれば新しい希望もありそうだと思うのだけど、死んで終わっちゃった。集団には交われない運命なのかな。

 

 

昨夜散歩している時、そういえば村から300mmレンズ持ってきてたなって思い出して、カメラを取りに戻った。一昨日ほどの迫力ではなかったけど、綺麗な月だった。

 

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このパソコンで調整するの面倒だからクロップだけ。

 

見えたように撮るのって難しくて、写真を撮っているといつも、人間の眼って凄いんだなぁってしみじみ思う。でも写真は写真で、それとは違う何かとして刻み付けられるから、それはそれで楽しい。

折角望遠レンズ持ってきたから遊べると思ったのに、代わりに充電器を置いてきてしまったようだ。残念。忘れん坊将軍だからね!

ビーバームーン から 誕生日プレゼント 言語

なんて力強い月光だろう。大きな真円のハロが薄雲と混じり虹色を湛え、その内側は自分の領域だと言わんばかりに暖かな白色が突き抜ける。遮る薄雲さえも取り込み、自らの大きさを何倍にも見せて、満ち欠けが如何に当然なものであるかを思い出させようとしているよう。

 

いつもは自分の庭だと言わんばかりに得意げなゴイサギも、今夜ばかりは闇に紛れられずどこか恥ずかしそう。

僕もなんだか落ち着かない。でも月に悪気はないのだろうから。

 

水溜りに浮かびくらげのように揺れる月は、空に浮かぶ月を見ている。空から見下ろす月は、大小様々な、沢山の自分と同じ真ん丸を見ているのだろうか?一際大きなそれの奥底に。

 

 

なんてことはいいんだけど、折角の満月だし、皆も見れたらいいなって思いました。

月と人の関係というのは、やっぱり根本にあるのかなぁと何となく感じる。

 

今日はアマゾンで弟の誕生日プレゼントを注文しました。彼の誕生日に届くようにしといた。ちょうどサイバーマンデーでセールだったので、充電式のLEDランタンにした。彼も夜釣りやるから使うだろうと思って。携帯の充電器としても使えるらしい。

先月の妹の誕生日はもこもこのルームブーツにした。実家の廊下は寒いからね。

 

ノンフライヤーも面白いなって思ったけど、結局使わなくなったらもったいないからやめた。いつか贈ったヨーグルト器もそんな運命だった。その前は鉢植えを色々送ったけど、あんまり場所とってもあれだし。

プレゼントを選ぶのは楽しい。当たり前の物過ぎても面白くないし、ウケ狙いで終わっても微妙。

こっちからしたらある意味では勝手に送り付けるものだし、自分ではその金額を出して買わないようなもののラインを攻めるわけだ。それが楽しいのもある。

 

そうそう、今年のブラックフライデーはKindle Paperwhiteあんまり安くならなかった。安かったら買って実家に送っておいて、帰省した時に回収しようと思ってたんだけど。タブレットはあるから定価で買おうとは思わないんだけど、買おうかなぁと思い始めた2年ぐらい前から中々丁度いいタイミングが来ない。まぁその内ってことだね。

 

 

満月と言えば、前回の記事で書いたKin FablesのPart 2、あの満月のシーンがとても好きで、あれから10回以上見てる。隠者?達が身投げするシーン。

好きって言っても何で好きなのかが分からないんだけど。感極まる感覚が好きでまた見てしまう。自分の中でも曖昧な感じで説明は難しいけど。

穏やかな表情?潔さ?確信的な死地に対する憧れ?よくわからない。

 

ここ数年何度も色んな作品とそういう出会いがあり、そういうことを繰り返していて、そうやって多分何かを得ているのだと思う。

 

説明するには言語化しなきゃいけないけど、そのプロセスってすごく大変。最初に月に感じたことを書いたけど、要約すれば「すごくすごい!しゅき!」って訳で、回りくどく説明する為に余分なものがついてしまったもの、と言うこともできるかもしれない。そしてそれは長所短所の問題でしかなく、多分、どれが自分にとって大切なのかによっても変わってくる問題。何だろう、気体の感覚、液体の情景、固体の言葉っていうのかな。

僕は気体と液体の間を彷徨っていて、それは確かに曖昧なのだけど、その方が僕にとっては余計なものが混じらないという意味ではそれが長所なのかなって。

 

「わかる」というのも、なにもそのプロセスに言葉が必要だとは思わない。いや、言葉での「わかる」はそれはそれで存在しているのだけど。なんとなく、人間は思考からして言語に自ら縛られていると感じることもある。言語による意味理解とか思考とか、そういうものがない生き物はどんな感覚や思考の中生きているのだろう?どうしたらそれを体感できるだろう?人は言語と引き換えに何を失ったのだろう?

 

そんなことをいくら考えた所で、人は人の視点からしか知覚することも理解することも出来ない。それってとても儚いと思う。