感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

ビーバームーン から 誕生日プレゼント 言語

なんて力強い月光だろう。大きな真円のハロが薄雲と混じり虹色を湛え、その内側は自分の領域だと言わんばかりに暖かな白色が突き抜ける。遮る薄雲さえも取り込み、自らの大きさを何倍にも見せて、満ち欠けが如何に当然なものであるかを思い出させようとしているよう。

 

いつもは自分の庭だと言わんばかりに得意げなゴイサギも、今夜ばかりは闇に紛れられずどこか恥ずかしそう。

僕もなんだか落ち着かない。でも月に悪気はないのだろうから。

 

水溜りに浮かびくらげのように揺れる月は、空に浮かぶ月を見ている。空から見下ろす月は、大小様々な、沢山の自分と同じ真ん丸を見ているのだろうか?一際大きなそれの奥底に。

 

 

なんてことはいいんだけど、折角の満月だし、皆も見れたらいいなって思いました。

月と人の関係というのは、やっぱり根本にあるのかなぁと何となく感じる。

 

今日はアマゾンで弟の誕生日プレゼントを注文しました。彼の誕生日に届くようにしといた。ちょうどサイバーマンデーでセールだったので、充電式のLEDランタンにした。彼も夜釣りやるから使うだろうと思って。携帯の充電器としても使えるらしい。

先月の妹の誕生日はもこもこのルームブーツにした。実家の廊下は寒いからね。

 

ノンフライヤーも面白いなって思ったけど、結局使わなくなったらもったいないからやめた。いつか贈ったヨーグルト器もそんな運命だった。その前は鉢植えを色々送ったけど、あんまり場所とってもあれだし。

プレゼントを選ぶのは楽しい。当たり前の物過ぎても面白くないし、ウケ狙いで終わっても微妙。

こっちからしたらある意味では勝手に送り付けるものだし、自分ではその金額を出して買わないようなもののラインを攻めるわけだ。それが楽しいのもある。

 

そうそう、今年のブラックフライデーはKindle Paperwhiteあんまり安くならなかった。安かったら買って実家に送っておいて、帰省した時に回収しようと思ってたんだけど。タブレットはあるから定価で買おうとは思わないんだけど、買おうかなぁと思い始めた2年ぐらい前から中々丁度いいタイミングが来ない。まぁその内ってことだね。

 

 

満月と言えば、前回の記事で書いたKin FablesのPart 2、あの満月のシーンがとても好きで、あれから10回以上見てる。隠者?達が身投げするシーン。

好きって言っても何で好きなのかが分からないんだけど。感極まる感覚が好きでまた見てしまう。自分の中でも曖昧な感じで説明は難しいけど。

穏やかな表情?潔さ?確信的な死地に対する憧れ?よくわからない。

 

ここ数年何度も色んな作品とそういう出会いがあり、そういうことを繰り返していて、そうやって多分何かを得ているのだと思う。

 

説明するには言語化しなきゃいけないけど、そのプロセスってすごく大変。最初に月に感じたことを書いたけど、要約すれば「すごくすごい!しゅき!」って訳で、回りくどく説明する為に余分なものがついてしまったもの、と言うこともできるかもしれない。そしてそれは長所短所の問題でしかなく、多分、どれが自分にとって大切なのかによっても変わってくる問題。何だろう、気体の感覚、液体の情景、固体の言葉っていうのかな。

僕は気体と液体の間を彷徨っていて、それは確かに曖昧なのだけど、その方が僕にとっては余計なものが混じらないという意味ではそれが長所なのかなって。

 

「わかる」というのも、なにもそのプロセスに言葉が必要だとは思わない。いや、言葉での「わかる」はそれはそれで存在しているのだけど。なんとなく、人間は思考からして言語に自ら縛られていると感じることもある。言語による意味理解とか思考とか、そういうものがない生き物はどんな感覚や思考の中生きているのだろう?どうしたらそれを体感できるだろう?人は言語と引き換えに何を失ったのだろう?

 

そんなことをいくら考えた所で、人は人の視点からしか知覚することも理解することも出来ない。それってとても儚いと思う。