今週末はふたご座流星群だったよね。こっちは今の所曇ってて見えそうもないなぁ。明日は見えるかな。まぁ、蚊が多いからあんまり外で見てられるわけでもないんだけど…
流れ星、降ってくる物質。回ってきた地球に吸い寄せられ、光を放って燃え尽きる。そして分解され、地球の一部となる。
それがいつから、どれだけ長い年月をどれだけ広大な惑星間を漂ってたのだろうとか考えると、僕たちにとってはほんの1秒に満たない光景であっても、それは人間の時間感覚を超越した物語り。生物的な時間でも、歴史的な時間でも、地球的な時間でもない。それよりも一層は外側にある時間が一筋の光として一瞬僕らの目に映り、消える。凄いなぁって思う。一体どれだけのものがそのそれぞれの一瞬に詰まっているのだろう?
そしてこの先、物質的に地球の一部になったそれは、僕だったものが地球の一部に還った後、同じ時間を過ごすのかもしれない。本当に途方もないスケールで。地球に落ち、その引力に囚われたもの同士、どれだけ長い時間を過ごすのだろう?
そう考えると流星体がその形として放つ最期の光はロマンチックな邂逅の光でもあるのだろう。
でね、話は少し変わるのだけど、目に入った流星が処理される脳も宇宙と構造が似ていると話題になるじゃない?記憶から内面で映し出す流星もその中の地球的なところで実際に起こってるなら素敵だねって。深夜のテンションで意味の分からないことを書いてるのは承知だけどね。でもさ、どれが本当でどれが本当ではないかって話なら、どれも本当でどれも本当ではないくらいの方がしっくりくる。そうやって想像に飲み込まれていくんだけど、だからこそその想像を否定するのは良くないのかもしれない。想像って何だろう?現実って?
なんていうことを考え始めるときりがないのだけど、要約すると「流れ星って綺麗だよね!」ってことです。それを見てる瞬間だけは少なくとも、present momentなんだよね。でもその見たものがね…
これは無限ループのパターン。ということでお開き!
なんてこと書いてたらいつの間にか雲どっか行っちゃった。ちょっと空見てこようかな。