そういえばね、この前妹の結婚式にオンラインで参加したの。事実上結婚は半年くらい前にしてて式がようやくって感じだったんだけど。
僕は入籍前には彼氏君から挨拶はあるだろうなとか思ってたんだけど一向になく、式の前ぐらいにはあるだろうと思ってたけど一向になく。結局式の最中オンラインで「初めまして」の挨拶になった。
ただでさえオンラインで参加とかアレなのに、式の最中「初めまして」ってなんか向こうも参加者に悪い印象持たれちゃいそうだなぁとか思ったり(傍から見たら半年前から家族だったわけで)、でも知ったこっちゃないよねとか思ったり。
僕も上手く言えない寂しさ的な感情があって、ちょっと意地っ張りモードになってた。挨拶一つで馬鹿らしいとも思うけどね。
本当は妹の結婚式くらいには髪を切ろうかなぁとも思ってたけど(フック船長くらいになってる)、いつしかこの結婚式のために髪を切るのはやっぱりおかしいと思うようになって結局切らなかったし。(また切るタイミングを逃してしまった。折角だから寄付してもいいなと思ってるからもう少し伸ばしてもいいけど。)
当日は髪は後ろで縛って口髭はワックスで整えて(ビーワックスとココナッツオイルで作り置いてある)、白と青のバティックシャツで参加した。さぞ変な奴に映っただろう(得意げ)
一応晴れの場ではあるし、妹に対してはおめでとうという気持ちは湧いてたんだけど、彼氏君に対してはどう接していいか想像が上手くできなかった。直接話したことなく名前も顔もうろ覚えな相手に「おめでとう」なんて心にもないことを言うのはそれはそれで不誠実かなぁとか思ったり。じゃあ妹に「おめでとう」と言って彼氏君には「初めまして」だけ言おうかっていうとそれもなんかあれじゃん?
でまぁ当日になってオンラインで参加すると向こうから「初めまして」って言われてね、そしたら言えちゃうんだよね。「どうも初めまして、この度はおめでとうございます」って。ついでに彼氏君の親族と何故か会話になっちゃった時も会釈したり愛想笑しながらちゃんと挨拶しちゃってさ。妹の手前とか知ったこっちゃないねという心裏腹。
こういう時ってそこにいるのが自分で自分じゃないんだよね。自分なのに何なのこいつ?って思う。ちゃんとした人ぶっちゃって気持ち悪い。
何でそこに嫌悪を抱くのかわからないけど。
もしかして皆内心はそうだったりするのかな?表で愛想よくしながら内側ではそんな自分自身を嘲笑って。お互いがそれやってたら滑稽でなんかいいな。
でも何はともあれ皆嬉しそうだったり楽しそうで、それは何より良かったと思う。
挨拶がなかったことに対しての寂しさってよく考えてみると純粋な兄としての感覚ではなさそうなんだよね。それ言い出すとそもそも純粋な兄とは何なのかって話だけど。
うちは僕が17くらいの時に親が離婚して、それより前から父親が割とどうしようもなくて。7歳下の妹に何か特別なことをしたかと聞かれれば別にしてないんだけど、感覚的にはなんか兄って感覚はそもそも薄くて、何かよく分かんないものになってるんだよね。父親がいないから僕に挨拶が来るのは当たり前みたいな感覚もあったのだろうけど、かといって別に父親代わりというわけでもないし、今だって毎年誕生日プレゼント贈るくらいで普段からメッセージやり取りするわけでもない。
うちってみんなスタンドプレイヤーだったけど、繋がりがないかと言えばそうでもなく、ちょっと特殊なのかも。まぁ、何を以て普通の家族というのかもわからないけど。
結婚式の最中は弟とLineでやり取りもした。食べ物の写真送ってくるから行けなかった僕は羨ましがってるふりをしたり。本心では割とどうでもよかった。ただ、彼も難しい時期を脱したんだなぁって。
結婚式自体も本当は行きたくもなかったし、オンライン参加も面倒だったけど、妹とのメッセージでは行きたかった自分を演じていた。いや、行きたかったのは事実だよ。義務としてだけど。
式の後、新郎新婦とうちの家族が写った集合写真が家族のLineグループに送られてきたんだけど、僕はオンライン参加してた時の自分の画像(ちょっとふざけた顔のやつ)を切り抜いてその集合写真の右上に貼ってそのグループに送っていた。こんなおチャラけて何がしたいんだろうって自分でも思った。
妹からは「やれやれ…」って感じのスタンプが貼られ、他の家族からも想定通りの反応があって、僕はそれにとても安心していた。
義務を果たした感覚。
構ってちゃん的に仲間外れにされたくない感の演出をしながらわざと呆れられて一石二鳥。なぜ呆れられたいか?そうすれば場が保てるから。僕はある意味しっかりした兄であってはいけないようだ。
冷静に考えると、何でこんなひとりひとりの感情を逐一把握して操作してるんだろうって気付いて、つくづくピエロなんだなぁと思った。
役割なのだろう。家庭内での。
そういえば妹の夫君は弟より年上と聞いた時も何かざわついた。みんなうまく付き合ってくれればいいのだけど…。は?何で僕がそんなこと気にしてるんだろうか。知ったこっちゃない。ぷんすか。
母はずっと苦労人で、父親はめちゃくちゃで、僕は不甲斐ない長男で、5歳下の弟は色々難しい期間が長くあって、7歳下の妹は兄弟で唯一のしっかり屋さんだけど色々難しい真ん中を見下してる部分があったり、プライド高めで気難しい所があったり。
いつから僕はこんな手を使ってあの子たちの機嫌を保つことを覚えたのか。全然記憶にない。歳離れてたからそれなりに面倒見は良かったとは思うけど、いつから弟や妹のご機嫌まで窺うようになったのか。なんだか気持ち悪い。今まで無意識にしてたことを急に意識しちゃったからかすごく気持ち悪い。
しかも今頭に蘇ったのが母の「いつも折れてくれてありがとう」って言葉だった。「うわぁ…」ってなってる。僕は結局母に喜ばれたいから諂ってたというのだろうか。だってさぁ、母大変だったしさ、小学生の僕にはそういうことしかできないしさ…これ以上苦労すると救いがないって思ったから。
そう思ったの?わからなくもないけど…気持ち悪。
そのチャラけた写真のこと、母だけは真意を何となく察している気がしていた。その理由が分かった気がする。
何で今日のに限ってこんなに気持ち悪いんだろうか。自己嫌悪とは異質の気持ち悪さ。
もう寝なきゃ。ここでやめとこ。
オチがないんだけどさ、このまま終わるのなんか嫌だから、今日ふと思ったことを書いておこう。
人体で生に一番近いのは皮膚なのかもしれないって思った。骨や肉は生を象徴しないし、むしろ死のメタファーだったりする。内臓だっていくらそれが動いていても、それそのものが見えたらもう生とは切り離される。そんな僕らの身体の一番外側にあって、外界という知覚される世界から一番近くにある皮膚は、生きているものと死んでいるものの区別もその血色や張り、温度なんかから容易にできる部位でもある。そして皮膚は外気から血肉を守ってくれる衣でもある。人体のどの部位もそれなしの生は難しいのだろうけど、皮膚はそれなしで生き得ない一番外側のもの。
そんな皮膚は内外の境界でありながら知覚の最前線であって、能動的である生としても観察される生としても、一番生に近いのは皮膚なのかもって。
どうでもいいけどね。おやすみ!