感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

陰謀論 から 懐疑的という思い込み 悪夢 夜のお散歩 "iris - lavender and heaven"

陰謀論っていうのは見えてるものに対する疑念から裏の見えないものを信じる(データなりがある程度あるにせよ)っていう意味で、そういうのが合う人は疑ったり信じたり大変なんじゃないかなぁって思った。

僕は陰謀が有るなら有るでいいし、無いなら無いのだろうし、まぁあったところで目に見える日が来ないから陰謀なのだろうから何とも言えないしなぁ、じゃあそれ以上興味の持ちようもないなぁって感じ。肯定も否定もしないというよりは、肯定も否定もしようがない感。

 

疑ったり信じたりが大変そうだなぁって何で思ったのかは分からないけど、でもその時ふと、僕は自分のことをただ懐疑的というわけではないのかなぁと思った。

周りと同じ意思決定になりづらいとか、皆が信じてるものを信じられないこととか、天邪鬼な感じとか、自分のことを懐疑的なのかなぁと思ってたんだけど、よくよく考えると別に疑ってかかってるわけでもないことに気付いた。

なんて言うんだろう。ただ信じることが出来ない性格なだけというか。

信じるってことに自分にとっての価値も今は感じない。でも疑うっていうほど疑念が先に来てるわけでもなくて、そういう意味ではただ可能性を見たいだけなんだと思う。可能性が好き。

 

信じるっていうのはなんか合わない。少し前まではそういう自分がダメだなぁとも思ってた。対象が何であれ、信じることのできる人にある種の強さを見ていたから。でもまぁ、それはそれって今は思う。

何かを信じるって素敵だけど、可能性っていうものを考えると、何かを信じた時ってそれを絞ってしまうものだと思う。ピントをフォーカスした状態と言うか。何て言うんだろう。信じるための前段階にはある種の断定が必要な感じ。でも僕はもっとボヤッとでいいから全体を眺めていたい。

これは立ち位置というか、意識を置く位置にも直接的に作用するもの。信じる信じないの外側に居たいっていうのもあるし、何かを信じたっていう状態の身動きの取れなさも苦手なんだと思う。だからこうやって固定観念なんかも外したがるのだろうし。

 

「あなたの明るい未来を信じる」とかっていうのもあれだよね。信じたところでどうなるかは分からないっていうのもあるし、その時思った明るさとは別の未来が訪れたってそれを受け入れるしかないのだろうから、なんか明るに未来に限定したくないよねって思う。未来はどうあっても受け入れたいっていうのが本音の時、「(~な)未来を信じる」とは言えないし。何かを信じるより流れや全体を受け入れる方が好き。

 

信じるっていうことが苦手なのはもう一つあって、そっちは実存的な感覚。

それが人であっても未来であっても神のようなものであっても、何かを信じるためにはこちら側から見た像を作らなきゃいけないから、どうしてもそれを信じることになってしまう。思想だってそう。信じるってなればその思想そのものではなくその思想に対する自分の理解を信じることになる。

っていうのが僕の感覚なので、その人そのものを本当に信頼するなら自他のラインの向こう側を尊重して、委ねるとかそういう方向になるだろうし、思想だってその思想そのものを尊重するなら自分の理解は切り離して自分なりに学ぶっていう方向になるんだと思う。

 

そんなこんなで信じるって苦手だけど今はまぁいいやって思うようになったし、その原因は懐疑的だからっていうよりも、信じるっていうものがこう、断定、限定的で主観や願望を押し付けがちな感じが苦手なんだろうなって思った。

 

自分が懐疑的っていうのもある種の思い込みだったのだろうなぁっていうのと、「信じる」が苦手でもいいやってていうのが少し新しい感覚。

そう。少し頑固なだけだと思う。頑固というか、自分なりに腑に落ちないと意思決定が難しいだけ。「ん?」ってなるからって疑ってるわけじゃない。直観的に「どこか腑に落ちない」が先に来て、だから色んな目で見てみる。疑念が混じるのはその段階。

 

それは別に周りの意思決定を疑ってるとか、入ってくる情報を疑ってるとかではなくて、ただ自分自身が感覚的に理解するまではそこに疑いと言われるようなものも混じるってだけ。

「これ酸っぱいミカンだよ」って言われても、自分が食べるまでそれを「酸っぱいミカン」と言えないのは、僕にとっては「その人が酸っぱいミカンと言ったミカン」でしかないから。それは別にその人の味覚や言葉を疑ってるわけじゃないの。だってそのミカンはそのミカンで、その人の感想はその人のもので、僕の味覚がどう捉えるかはまだ分かってないから。

疑いもしなければ信じもしないのは、疑う対象でも信じる対象でもなくて、それらが入り込む隙間がないから。

あなたあなた、僕は僕、そのミカンはそのミカンなの。

 

それは政府や偉い人や皆がこう言ってるからっていうのも同じ。

ってことは僕がやっぱり懐疑的なのではなく、懐疑的っぽく見えるけど本当はただ主観が好きとかそんな感じなんだと思う。

 

 

この前また主観視点で殺される夢を見た。これ系の夢小さい頃からたまに見る。ほんと嫌い。詳しい内容は毎回違うんだけど、共通してるのは逃げ惑った挙句逃げきれずに追いつかれて首を撥ね落とされるってとこ。今回はハンター系のガッチリしたマチェット二刀流おじさんだった。僕は狩られる側で逃げ惑う感じ。実家のベランダに逃げるの。文明崩壊後みたいな世界観で、食用みたいな感じにネズミが干してあるんだけど、そのネズミの毛並みや眼、群がるハエがとてもリアルだった。そのベランダから屋根伝いに2階の窓の外を通って逃げるんだけど見つかっちゃって、最後はシャキンシャキンとマチェットを擦りながら迫ってくるおじさんに「ほら、もっと逃げろ」って弄ばれた挙句、もの凄い恐怖と絶望の中ズバっとやられて、そこで目が覚めた。ほんとこれ系の夢は一回人生終わったレベルで疲れる。目が覚めてしばらく動けなかった。

起きた後も、狩られる側ってやっぱり一思いにやってもらった方が良さそうだなぁとか意味の分からないこと考えたりね。

 

久々に瞑想したせいかな。瞑想すると高確率で悪夢みる。無意識の不安とか恐怖が呼び起こされるのかな。でもこれ何に対する不安なんだろうか…。

 

 

今日夜子供と少しお散歩をした。あれ?まだ半月だっけ?などと思いながら歩き、家に着く頃には月が真ん丸になっていて、そこで初めて月食だったことに気付いた。ちょっと残念だけど、知ってたら写真撮ろうとしちゃうだろうし、こういう風に軽い気持ちで見れるのもありかなぁとも思った。

子供が星を見て「お星が落ちたら持って帰りたいの」「お月様は何を食べるの?」などと真剣な顔をして言うのを見て、星を見る度に大きな恒星やその周りの見えない惑星もイメージしてしまう僕は、月を見て大きな岩石の塊のイメージが浮かんでしまう僕は、なんと汚れているんだろうと思った。

 

 

あとねあとね、これyoutube musicでいつの間にか高評価押してた曲なんだけどすごく好き。


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この人もノルウェーの人。なんでだろう。

慈愛レベルの染み渡る優しさに「うぅ…」ってなる。僕も連れていって欲しい。