感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

意識レベルのギャップ から 課題1 - CPTSD 自己受容の難 OOO 瀕死の携帯

4月の後半に意識レベルのギャップというのを見てもらったんですよね。レベルって言葉はあんまり好きじゃないからちょっと躊躇したんだけど、自覚はあるからヒントでも見つかればなぁと思って。

見てもらった内容もその後のやり取りも僕にとってはとても意味あるものになった。

 

迷路の中に居る時って凄く縛られた視点になっているのだけど、外側から見えた時に壁が一気に崩れることがある。今回もらった助言はそこに繋がった。その方もこの虚無感の経験者のようで、そして捉え方もどこか似ていたからとても的確な言葉をもらったのだと思う。思い込みにいくつか気付いたし、課題になっている部分も前より明確になった。

 

その方が言うには僕には二つ課題があって、先ず僕は自己受容に課題があるということ。そしてもう一つは無条件の愛に課題はないのに条件付きの愛に課題がある矛盾した状態ということで、対象に自分が含まれていないのではないかということだった。

最初はやっぱり半信半疑モードなのだけど、随分ピンポイントな指摘だったから色々質問してしまった。そしたらまた的確に返ってきて。

で、この2つはリンクしているとのことだった。

 

この辺りは何ていうのかな、漠然と認識していた部分と目を逸らしていた部分だったのだと思う。特に前者の方はあれなんだよね。自己否定はなくなったんだけど自己受容は出来ないっていう状態が続いてて、まぁ自己受容できないのが自分でいいかっていう一見受容に見える歪な形に持っていってたのが悪さしてるんだと気づいた。

それと漠然と大きく見えてたものが2つに分かれているのを意識してみるととてもしっくりきたんだよね。そうなると少し触れやすくなったというか。

 

他にも色々得たものはあったんだけど、大きなものはこれで。それでね、壁が崩れる感覚の時にはっきりと、歯車が動き出すのが見えた気がしたの。壁と一緒に、歯車に噛んで邪魔になっていたものが崩れた感じで。

 

それからというもの大切な親友との対話でもとても色々なものを受けてるし、こうやって思考の整理をしている時も気づきがあったりして、色んなものが繋がったり舞い込んでくるのでかなり目まぐるしい。

 

その中で特に大きな課題として再浮上した(サバイバーズ・ギルトから繋がった)のがCPTSDで、もう一つはあまり気にしていなかった愛着。

 

前者は浮かび上がる度に棚上げに次ぐ棚上げだった。というのも後遺症だけでも十分苦しんだという意識はあるし、生活できるレベルまで和らいだなら振り返らずに前進した方がいいんじゃないかっていう思いもあったから。っていうのは言い訳で、怖くて見れないっていうのが大きいのかもしれないけど。受け入れ切れていないのは分かるけど、どうやったら受け入れられるというのだろう?

時間は確かに薬で、それで気にならないぐらいまで和らいだのだけど、それは目に見える症状の話で。いや、それすら分からない。そもそも日本の冬が駄目になったのも、こっちに住むようになった切っ掛けもフラッシュバックのトリガーから逃げるためというのが大きいし。

でも今の問題はそこじゃなくて、今の僕が完全に事後の産物ということだ。事後の自分も外傷当時の自分もある程度は受け入れて生きていかなきゃいけないのは分かってはいるつもりだけど(って思ってる時は大体分かってない)。

 

前回書いてて、生きながらえてしまったことによる罪悪感というか、生きることの後ろめたさがあること、そしてそれも後遺症の一つで、その上に自分の価値観を築いてきてしまったことに気付いたのね。それは多分自己受容という課題に直結するのだろう。自己否定は無くなったのにやはり自己肯定は上手くできない部分が多い。つまるところ自分が今生きていることを受容しきれていない。

自己無価値感というよりは自己価値の放棄によって生きている後ろめたさを軽減しようとしてるんだろうなって思った。

 

同じような境遇に置かれて死ぬ人が居る中、たまたま生き残った自分という位置づけになってしまっていて、たまたま生き残ったのが他の人ではなく自分ということを正当化できないし、自分の受けた苦痛も比較したくもないのに比較になってしまうのが嫌で直視できないし、生きている自分が価値づけされることも死んだ人や抜け出せない人に対する後ろめたさに繋がっている気がする。

全て無意味で利己的な比較だというのは分かるけど、じゃあ同じような境遇を味わった彼らに報いるにはどうすればいいの?せめて多くの人たちより近い僕が理解の努力をしなければ何のための経験なの?雁字搦めじゃん。ずっと考えてたことだ。それでどんどん行き場を狭めてた。こうやってミイラ取りがミイラになるのだろうね。

そういえば頭の中で言葉を思い浮かべるでしょ、そうするといつも真っ先に出てくるのが死なの。別に悲観的でも絶望的でもないのに、例えばシャワー浴びながら鼻歌に言葉を当ててみても「死が~」とか「死の~」とか「死地に~」とかになる。「終わりの~」とか「終焉の~」とかもあるから必ずしも死ではないけど、死や終わりを無意識に考え過ぎな部分はあるんだと思う。意識的にやってるわけじゃない(よね?)からどうしようもない気はするけど。

 

割り切って生きるために自分の中であの頃の自分を死んだことにして、新しく生きようとしてみたり、本当にいろんなことをしてきたのね。その時は確かにそれが必要だったのだと思うけど、自分っていうものをここまで掘り返してきて、そんなんじゃどうしようもない部分に来ているのだと思う。

 

前回どうしてあそこまで取り乱したかと言えば、苦痛の伴う選択肢しかないだけでなく、また振り出しに戻る不安もあったから。

 

・目を瞑って生きること これには自己受容が上手くいかない苦しみ、それだけでなく停滞の苦しみ(変化を食い止めることに伴う苦痛)があって、多分定期的に発狂しそうになると思う。受け入れないことの苦しみは経験済みだからわかる。だからこっちの選択肢はもう選べない。

・リセットボタン 僕は臆病だからから無理

・もう一度向き合うこと 消去法でもこれしか選択肢がない。でもこれは上手くいくか分からないし、怖いことだらけ。トラウマを直視しなきゃいけないし、仕舞い込んだ記憶も開かれるだろうし、後遺症も再発するかもしれないし、二度目の人生だと思って築いてきた価値観を崩すことで一時的にでもまた自分が分からなくなるだろう。崩すためには先ず認めなくてはならなくて、それだけでも怖いのに。

 

根元ほど後に出てくる。その時出来る対処を続けてきた結果今があるからだと思う。だからこんなことしててもキリがないのではという不安も出てくる。正直これで終わるとも思ってない。今でも目を向けられない部分、特にあの2年間は全てから否定される日々だったから、バグの根源はそこにもいくつもあると思う。それが出てくるのは本当に怖い。怖いけど支えてくれる人が今は居るし、折角ここまで掘り返してきたのだし、そうするしかないし。

 

でもまぁ、幹からいく気力はないから、小さな枝から入ろうと思ってる。今回の切っ掛けになったサバイバーズ・ギルトから。

調べてたらそれを抱えたキャラクターとかが載っててね、これだって思ったのがあったのね。仮面ライダーオーズの主人公、火野映司。平成ライダーってそういう主人公の過去や闇に縛られる描写が上手いし、そして乗り越えていく感じのエンディングがお決まりじゃないですか(最近のは知らないけど)これならいけるって思った。しかも大好きな放浪者系主人公だよ?平成ライダーは555まで観てそのあと飛んでWだけ全部観たんだよね。それにしてもOOOって表記何かいいな。

primeビデオ見たら会員特典だったから、わーい!ってそのまま観始めた。

ってことで一昨日からオーズ観始めて今12話だけど結構引き込まれてるし、いい感じに揺さぶられる部分がある。行動に移せてる分映司は凄いとは思うけど、この歪んだ行動力と無欲というより虚無な感じはとてもね。欲望っていうテーマも面白い。僕もいつか活力を取り戻せるかな。

 

まぁこんな感じでまずは軽くいこうかなって。

もう一つの愛着はまた長くなりそうだから分けようかな。多分同時進行で掘り下げていくと思う。

 

 

そうそう、携帯落として画面がひび入って液漏れも始めちゃった。知り合いに中古で売りつけられたiphone5sで、電池膨らんでるし、カメラも壊れてるし、サポート切れて使えないアプリも増えてきたしで、そろそろ替えなきゃと3年以上前から思ってはいた。

買い替えるの面倒だし高いしで何だかんだまだ踏ん切りがつかないのだけど、液漏れが広がったらどうしようもないからなぁ。うーん… ここまでくると彼も楽になりたいんじゃないかとも思うよね。まぁ3日経ったけど液漏れもあんまり広がってないから様子見中。

でもこれだけ古いの使ってると何に替えてもこれより性能いいだろうから後悔しなさそうなのはいいよね。

 

 

これ大好き。俯瞰視点の自分が満たされる感じ


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RGBのアルバム(も)好きな曲いっぱい。