2週間ほど前、ラウンダバウトで直進していた所、左から助手席のドアに突撃されてしまった。同じドアの内側の外れた部品を直した翌日に…
警察呼ぶのも面倒だし相手も非は認めていて、修理代は全額出すって言ってたから、電話番号だけ貰ったんだけど、本当なら相手の身分証明書や車のナンバーもちゃんと控えておくべきだった。相手若かったし、話してる感じ多分誠実だなって思ったから。
そして約束の日、連絡がないのでメッセージを送ってみると、2階から落ちて入院したからしばらく待って欲しいとのことだった。
逃げる気満々なんじゃないの?とか言われたけど、まぁでもねぇ、本当に怪我してたら可哀想だし。疑って怪我人に無理矢理直させるより、気遣いして逃げられる方がまだいいかなって思うし。
事故ってすぐ2階から落ちるか?っていう疑問には、そもそもあんな見通しの良いラウンダバウトで突撃してくるような人だよ?普段から注意散漫でもおかしくないと僕は思ったし、そういう人ならなお更責めるの可哀想と思う。
でもまぁ、入院したから少し待ってって言われてもう10日経つので、そろそろ連絡した方がいいのかな。うーん。まぁ気長にいこうかな(先送り癖)
来年の1月中旬に一時帰国することになりそう。一番嫌いな苦手なだし、1か月ぐらいだからあんまりゆっくりできないなぁ。祖母が脳梗塞の後激痩せしてしまったので、しっかり一緒に過ごしておかないとと思う。
仕事を辞めてから一気に悪くなったって言うけど、僕はお年寄りの多くはそうなるから何かしらお仕事は残した方がいいよって言ってたんだけどね。そんなこと誰も気にしてなかったし、体調が悪化してからほら見たことかなんて言えないし、そんな趣味の悪いこと言わないけどね。人はいつもそう。何かが起きてから気づくの。ただそれだけ。
ヒトっていう社会的な動物にとって役割を担うっていうのは大事なことで、それが家族のためであれ社会のためであれ好きなアイドルのためであれ、誰かや何かのためにっていうのは生きる意味になるんだよね。それは何も精神論的なことではなくて、ヒトっていう動物が繁殖機能を失った後もなぜこれだけ長く生きているのかという部分。不要とされた人たちが自ら死んでしまうのも一部同じ部分がある。と僕は思っていて。
定年後急に何もしなくなったり過度に保護されればボケたり幼児退行するのもある意味当たり前なのではないだろうか。社会的な役割、立場に伴う精神面を軽視しすぎだと思う。これは一面だけなので、例外だらけなのだけどね。働きバチだって群れのための仕事を終えて死ぬまでが織り込み済みなのだから。
母は祖母にボケが出てきてからの行動に戸惑いが多いようだ。トイレットペーパーを切って畳んで仕舞っておいたり。うんちを拭いた紙を流さずに汚物入れに入れたり。でもこれって子供の頃に戻ってるだけなんだよね。そりゃ同居してる家族は疲れるだろうけどね。僕はボケたら何をするんだろうか。徘徊はしそう。
僕も一応長男ではあるので、必要があったら帰って介護はするからとは言ってあるけど、日本でお仕事出来る気はしないんだよなぁ。精神が追いつかないね。
一時帰国したらデスクトップのパソコンがないからノートでどうにかしなきゃいけないのは面倒くさいな。古いの引っ張り出そうかな…まだ1か月半以上先の話だけど。
楽しみなのはさ、やっとKindle買えることかな。amazonが進出してないからこっちで買うと高いから、帰ったら買おうと思ってたのだけど前回の一時帰国では買えず。その時はipadがあったから良かったんだけど、それも壊れちゃってからずっと本があんまり読めてない。
もうすぐブラックフライデーのセールだから先に買って実家に送っとこうかな。
P.F.ドラッカーの傍観者の時代がとても読みたい。必要な本な気がする。
YouTube Musicから2024年のRecapがきた。2024年はまだ1か月以上ある気がするけど。
Sleepyってなんかちょっと良くないよね。君の曲はSleepyだ。なんて言ったら悪口じゃん。そんな眠たい曲ばっか聴いてるつもりもないんだけど。
僕にとっては音楽はペースメーカーなんだよね。こんな世界で暮らすなら欠かせないの。僕にとって心地よいペースで僕を包み込んでくれる音楽がなかったらすぐに狂っちゃいそう。
なんでみんな狂わないでいられるんだろう?狂う側の人としか話が合わない。狂う感性を大切にしろなんて、ニーチェみたいなことは言えないけどね。だって辛いもの。だからと言って、この世界で狂う側の人間が普通に飲み込まれれば、それはディストピアだろう。
これ、Ludovico Einaudiの新曲なのだけど、本当に大好きでずっと聴いてる。
彼らしい音楽。Experienceはもっとメランコリックで、ある意味過去に縛られている感じだけど、この曲は人そのものって感じがする。生の力強さ、揺らぎ、そして躍動。
不協和もまた協和だったりするんだよね。見方の問題。全体を見れば、全ては調和しているのかもしれない。