感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

ゲームと僕 ゲームと親と子

ゲームって一括りにするけど、それぞれのゲームにそれぞれの世界があるし、何より沢山の学びがあると思うんだけどな。

仮想の世界だからといってそこで学んだことを現実に適用できないということはないはず。

といってもゲーム自体幅広くて、人によって好みの違いもあるのだろうけど。

 

僕は結構色々なゲームをやってきた。それなりにゲーマーだと思う。

中学生の時は友達とよく64のパーフェクトダークをやってた。ストーリーも好き。Haloシリーズも結構やった。PCではHalf Lifeから色んなFPSもやったし、シムシティやシムズも好きだった(昔のシリーズは)し、RTSも大好きだったし、スロットル付きのフライトスティックとラダーペダルを買うくらいにフライトシムも好きだった。

Remedy社のMax Payne1, 2やAlan Wakeは素晴らしいストーリーに引き込まれたし、Mount & Blade WB, WFASの壮大な世界には僕の分身が何人もいるし、Age of Empires 3の探検から始まる植民地の覇権争いではゲームをやっていながら色々な情景が浮かんでは消える。

 

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Mount & Blade NWの風景。しゅき。

 

良くも悪くも、売れることを重視して大衆向けになるとどのジャンルのゲームでも刺激や爽快感、順位の要素ばかり目立つようになってしまう。プレイヤーがいないと続かないからそれも必要なのかもしれないけど、僕はニッチでやっている人が少なくても(だからこそ)ジャンルは問わず凝っていて深い世界を作り込んでいるものが好き。商品と言うよりも、より趣味に近く、創造の世界だと思う。

個人製作のゲームが売りやすくなって、支援者が集まりやすい今はニッチなゲームが増えてて羨ましい。環境があればまたやると思う。steamは入れたままだしね。

 

レベル上げ要素の強いRPGだけは苦手で勧められてやってもいつも途中で飽きてしまう。コツコツレベル上げとか無理。

そのくせ潜水艦で商船待つのは数時間やっても苦じゃないし、爆撃機に乗って1時間近く飛んで爆弾を落としてまた1時間近く飛んでRTBも苦じゃないし、ベトコンというゲームでは隣部屋のPCに座った友達と何故か1対1で戦い、空が白むまで互いにすぐ近くの茂みに潜伏していたこともあった。

HL2modのBattle Groundというアメリカ独立戦争のゲームでは、全員がプレイヤーのFPSの世界で初めて戦列歩兵によるラインバトルを経験してとても楽しかった。何故か督戦隊のようなコマンダーがいて、戦列を乱すと殺される不思議な世界だった。思い出すと笑える。

 

 

例えばコンバットフライトシムでは現実とはズレるとはいえ航空力学を学べるし、爆撃照準器の扱いから様々な空戦機動や連携、機体や武装ごとの有効な対空、対地攻撃方法、敵との心理的な攻防、タクティカルからストラテジックな戦場の動きの把握、様々な定石の裏をかくことも学ぶだろう。それをさせるのは僕の場合は、遊び心を最大限に生かす為でもあるのだと思う。

関連する知識もその脇で自然と得ていくものだ。その両者が重なり、独自のスモレンスクの空やノモンハンの空の情景が出来上がることになる。

 

これはゲームの中の話で、現実とはズレたもの。

死んでも生き返れる、リセットできることを批判する人もいるけれど、だからこそ本来できないことを何度も試行できる。現実とのズレだって学び得た物は調整ができ、他のことに利用できるものだと思う。何より、それらの経験は色々なものの見え方にも影響を与えるものだ。

色々なゲームの世界を体験することは、本の世界と同じく、色々な見え方を生むものであると思う。(活字が想像の世界を生み、ゲームは作られた世界を体験するだけだと言う人もいるけれど、それは単にイメージの話。両者とも、想像の世界はその作品の外側にあると僕は思う。)

 

ゲームとの関わり方も色々ある。クランのようなチームを作る人もいるし、ゲーム内の色んな技巧を競う人もいるし、Modやマップを作る人もいるし、録画して独自の映像作品を作る人もいるし、最近は配信も手軽なようだ。それを見るだけの人もいるらしい。

 

どのゲームも仮想であれ世界だから学べるものはあると思うのだけど、ソーシャルゲームとかそういうのは知らない。射幸心とか収集欲とか刺激ばかりのゲームも多くあるのは事実だから。それは求める物の違いだろうから何とも言えない。僕は嫌い。課金要素が強いのも嫌い。

 

 

香川のゲーム1時間条例もそうだけど、子供がゲームばかりやっていると悩むくらいなら、その子がどういうものを楽しめるのか、どういう楽しみ方をしているのかを見てからでもいいと思う。今の時代一般的に、大人もスクリーンを2時間は眺めてると思うのだけど、ゲームは何が違うのだろう?

 

楽しんでいるものなら、取り上げるというのは僕は良いと思わないし、制限は出来ても今の時代完全に触れさせないというのは難しいだろう。

主体性を重視するなら子供の権利を認めた上でスクリーンタイムに家族共通のルールを敷けばいいと思う。その土台の上で親も一人の人として一人の人相手に提案すればよいのだし、そうすれば子供もきっと提案してくれるだろう。

不平等条約は親子でも僕は良いと思わない。関係の在り方の好みの問題だろうけど。

 

ゲームも一緒にやってみれば互いの楽しみ方を提示できるかもしれないし、大人だからこそ提案できるゲームやその遊び方もあると思う。新しい発見は互いに見つけていくものだ。親が見て好ましくないと思うゲームばかりしているなら、別のものを提案すればいい。

 

それができないというのなら、ゲーム云々の問題ではないのではないだろうか。

テレビでも漫画でも携帯でも、常に同じことが言われてきたのでしょ。

 

 

IL-2 sturmovikのファンメイドの動画。10年以上前のだけど久々に見ても好き。


I/JG54 - Requiem (IL2 sturmovik)

屈強なJG54が反攻の波に乗ったソ連の数の暴力に削られていく切なさ。