感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

合気道教室というストレスの時間

昨日久々に合気道道場に行った。いつも行こう行こうと思って結局行かない。

自分の中で色々理由をつけて行こうとするけど、色々理由をつけて行かない。自己完結でするこの無駄な労力。いや、無駄も何も無駄じゃないことはあるのだろうか?

それを言い出したら合気道行くのも無駄だし、行かないのも無駄だし、転じて行くのは無駄ではなく、行かないことも無駄ではない…この思考回路なんなんだろう。勝手に迷宮を作って迷い込む。だから迷子なんだよ。でも迷子じゃないっていうのは僕にとっては割り切ることであって…

 

昨日は春節7日目のレンリだかっていう、みんなが一斉に一歳年をとる日だったらしい。ということで、合気道道場ではケーキを用意する為に事前に人数確認をしていた。

僕は久々に行こうと思って主体的に練習に来た、ということを隠す意図があるのかないのか、ケーキに釣られて来たことを装った。なんの意味があるのか自分でも分からない。

でも行くと言ってしまったので、行かないという意志は辛うじて制することができた。

 

僕自身練習自体に興味があるのかすごく怪しい。

何のために行くのかって、それなりの他人と接する場を持っておかなければならないという意味のわからない使命感から。っていうのが大きい。

でもそれって必要なのだろうか?わかんない。そんな不純な動機で行くのは良くないのではないだろうか。と思いながらも会費を払ってしまった。そうやって縛り付けて意味のわからないプレッシャーを感じ、行ったら行ったで会話、練習、ボディコンタクト、色んなものでヘトヘトになる。行かなければ行かないで意志のなさに自己嫌悪に陥る。

何やっててもそうだから合気道教室どうこうの問題ではないのだけど。

 

練習は単に辛い。体を動かす爽快感なんて別の運動でも得られる。

何が辛いかって、僕は1つ1つの動作の型というのを覚えるのがとても苦手だから、二人一組でやる合気道だと足を引っ張りっぱなしになる。

見ても覚えられないし、動作してみても覚えられない。

何故かっていうとね、見ているようで別のことを『考えてる』し、動いてみてもそれに合わせることを『考える』ので手一杯で短期記憶にもならない。記憶されない。

 

各動作に裏と表があるのだけど、彼らがなかなか覚えない僕にUraとOmoteの意味を英語で教えてくれる。それを聞きながら日本人が、しかも日本語教師のコースを修了した人間が日本語の意味を教えてもらっている姿の滑稽さに色んな想像が膨らみ、結局動作が頭に入らない。作り笑いも引き攣ってしまう。

 

僕はやろうとしても出来ないし、その理由を説明できないことにストレスを感じ、相手への申し訳なさで自己嫌悪とストレスを感じ、ボディコンタクトで落ち着かなさとストレスを感じ、時計を見ても時間が進まないことに落胆とストレスを感じ、次の動作がより複雑なのを知っていてその到来を予感しては不安とストレスを感じ、動作を見ていても記憶出来ないことに焦りとストレスを感じ、焦れば焦るほどストレスを感じ、何をしに来ているのだろうということを考えながらストレスを感じ、それらを感じてるんだなぁと気付き感心していた。

 

序盤はそれでも必死に記憶しようと頑張るのだけど、肉体的にではない疲れが溜まれば溜まるほど頭がオートマティックにマインドワンダリングモードに切り替わるのを阻止できなくなることを認知していた。

更に終盤ではその状態にも入れず、ただ脳が疲れきり動作できないことを認識しながら、この辛くも親しみのあり過ぎる感覚に懐かしさを感じていた。

 

彼らと顔を合わせ、多くを語らない時間は、他者と共に過ごし互いに作った表情を交わす時間は、集団の中の一人として過ごす時間は嫌いではない。寧ろ楽しいと感じることもある。でも同時に負荷が激しく辛い。

 

1時間半の練習が終わり、ケーキを食べてミカンをもらい、ちょっと話して帰った。いつもそうだけど、帰りには交流面での物足りなさと煩わしさを同時に感じて煩わしさが勝っている。

 

車に乗って疲れを自覚したのは、注意が欠落して運転への集中が継続できないというか、意識の切り替えを上手くコントロール出来ないことに気づいてからだった。

運転は気をつけなきゃなぁ。

 

ボランティアを自分の金を使ってやるのが分からないって言う人がいたけど、その人がボランティアというものに感じるのはこれに近いのだろうと思った。

自分にとっての『報酬』が足りず、結局は割に合わないのだろう。

でも僕は無理に報酬回路を作る事を僕自身にしたいと思わないし、できると思わない。その発想自体が報酬ではなく罰となるから。そうやって逃げる。逃げる?…まぁいいや。

 

来週は行くのだろうか。