感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

サル山 セクハラ 本能

閉鎖的な空間におけるグループであり、周りから認められた立場上の力関係を体感することが出来る職場をサル山であるとして。

その中である程度自分の立場上の力を自覚しているオスが、メスに対して性的なアピールを隠さずに、一種のマウントとして表出することはサル山としては自然なことなのではないか。

サル山だからこそそういった性質を持ったオスこそがその立場を得られるわけだし、なにも不自然なことはない。

 

それはセクハラが性衝動とは別の次元であることも意味していると思う。勿論オスである以上交尾の隙は狙っているのだろうが、おっさんのセクハラ行動を引き起こすのは性衝動というよりも、群れで下位に位置するメスに対する一種のマウントであって、文字通り本能的なスキンシップでもあるように見える。

 

法律はサル山におけるヒトの本能を抑制はしたとしても、消し去ることは絶対に出来ない。同一個体群の他の個体の目、蔑視や反感はそれを思いとどまらせるに至るが、それは他の目がそのオスザルにとって脅威であるという前提が必要だろう。黙認されると体が認識する状態において、そのオスザルが人間社会と言う別次元における判断を的確に下すことが出来るはずがない。

ある程度地位を築いたおっさんがセクハラで身を滅ぼすのは、ある意味では仕方ないのかもしれない。

 

セクハラ問題はサル山がサル山として存在する以上起こるのであれば、そこに女性が入るというのなら、それを受けることはある程度覚悟しなければならないことなのではないか。

もし女性が群れに入ったとして、オスザルに脅威を認識させることができないなら、女性はその群れの、そのオスが何をしても良いメスという対象になることを黙認したも同義となってしまうのではないか。

そうならない為には、自分の性質をよく理解した上で、さらにしっかり数あるサル山を見極め、そこに入るか入らないかを判断する必要があると思う。特に、抵抗できないような女性はサル山に依存することは絶対にしてはならない。それはメスザルになることを黙認したも同義になるのだから。

そしてセクハラ行動への黙認が重なれば、そのメスザルへの所有の認識が強くなり、例えばそのオスにとっては強制性交へのハードルが下がることも考えるに難くない。

 

 

なんと差別的なことを書いてしまったのだろう。

サルたちは自分たちの摂理に従って生きている。引き合いに出してごめんね。

特定の種を貶める為に書いたのではありません。

 

オスが悪いのか、メスが悪いのか、群れの他の個体が悪いのか、サル山が悪いのか、システムが悪いのか、それ以上の何かが悪いのか、種が悪いのか、本能が悪いのか、そんなのは僕にはわかりません。

どこかしらの観点に立てばどこかしらの観点で僕は黙認し、加担しているのだろうし、そんな僕が悪いという言葉を使えるほどこの件に意志を持ってない。

 

社会的に一個体を抹殺したとしても、浅い抑止になるだけで問題自体はさして減らないことだけは確か。