人は物語を紡ぐ生き物。
そんな生き物だからアウトプットはより特別な意味を持つのだろう。
人によって片寄りはあっても、インプット・アウトプットは対をなす存在。口数の少ない人の言葉はその人にとってはそれだけの重さを持つ。
コミュニケーションは一番身近な双方向のやり取り。言葉だけではなく、表情、仕草、色々なものを駆使して人は伝え、受け取ろうとする。
噂話が情報として機能する以上、そこに見えるいろんな欲をどうこう言っても仕方ないのだろう。
自己顕示欲もまたその欲求の表れ方と見れば、特殊な生き物のかわいらしい性質に見えてくる。
アウトプットは話すことだけではない。人は五感を駆使し、色んな方法で伝えようとする。文、シグナル、劇、音楽、ボディコンタクト、料理。様々な表現が生まれる。
その多くは内側の情景を伝える役目も担う。そうやってインプット・アウトプットを通し、人の内側に包まれた様々な世界が干渉しあう。本当に様々に、独自の世界が広がっていく。その華やかな世界はまたアウトプットを必要とし、その繰り返しで外側の世界も形作られていく。
感情というものが大きな意味を持つのは当然のことなのだろう。その世界では感情こそが空気であり水であるのだから。
生きるための知恵は物語の形で伝承されてきた。代を越え、代を越え。
それがファンタジーのように見えたとしても、その祖先達にとっては見たものをそのまま伝えるための比喩だったのかもしれない。それがその人のイメージの世界で現実だった場合、イメージと現実に境はあるのだろうか。内側の世界と外側の世界の境界。
僕はどちらが現実なのか分からなくなることがある。そもそも現実とは?
妖怪を信じる人は妖怪を見るし、UFOを信じる人は誘拐される。憑依を信じる人は憑依される。主観の上では全て事実。人間とはそういうものなのだと思う。目で見たものを処理するのも補完するのも脳である以上、脳の作る世界を生きているのだから。
科学が客観性を重視しても、それを利用するものが主観である以上、科学を信じて人は科学に翻弄される。イメージが幾分かの根拠を持ったイメージになったに過ぎないのではないか。
川にうんこをした時、その中の大腸菌が魚やエビに入るイメージが浮かぶ。でも事実はそこまで短絡的でも複雑でもないのではないか。
それは結局、森で迷った時に伝え聞いてきた小人を見た人となんら変わらない。
僕にとっての事実とその人にとっての事実違うだけで、お互いイメージの世界を彷徨っている。
文字が生まれ、より客観性が求められるようになった。
自然科学が力をつけ、一神教がしたように、色んなイメージの世界が殺され、淘汰された。彼らは自らの祖先の紡いだ物語をも殺そうとする。
人々は科学の名の下にクルセード敢行する。(魔女狩りの方がいいかな?日本人的な非国民狩りもいいな)
そうして出来上がった内側の世界は、どこか荒涼としているように感じる。荒涼とした世界の人のアウトプットは、華やかなものを枯れさせる力がある。理屈ばかりで自分を正当化しようとしていた時、僕の世界もそうだった。自分の世界なのに他人の力で枯れていた。
そういう世界がその人にとって華やかな場合が多いけど、僕はその種ではなかった。
対となったインプット・アウトプットの干渉を通し、外側の世界から見てもさもしさが感じられるようになった。
出る杭は打たれるのがコミュニケーションなのだから仕方がないことでもある。
客観性自体は嘘を見抜くために、正確な情報共有するためにも大切なのだと思う。でもそれが毒になってしまうのが人の世なのだろう。
そんな世界で自分の中に独自の世界を築き、守ることは容易ではない。いつ異端審問にかけられるか、その恐怖に怯え生きることになる。
対面のコミュニケーションでは裁きの対象にならないように偽りの顔が必要になる。
だからこそインターネッツが果たしている部分は大きいのではないかなと思う。比較的容易に多様なインプットが手に入るし、アウトプットの場も提供される。僕にとってはこの場が果たす役割が今は大きい。
毒も本当に多いけど、花も沢山咲いている。インターネットは第3の世界として機能してくれている。
そうなると多くの人にとって第2の世界(現実と呼ばれる)の意味が薄れるのもとても納得がいく。特に人間関係において。
それを誰が責めることができるのだろう?
「現実から逃げるな」「現実を認めろ」その世界の住民はそう言う。でもその人たち自身が毒牙を隠し、瘴気を放っているのだから、あまりに説得力がない。
もっとこう、豊かな世界を自分達が持って、その花の蜜を差し出すくらいの気持ちを持たないと妖精達は出てこないのではないだろうか。
彼らの多くは主体的に第2の世界を避けている。世間がそう思いたくないだけで。
インプット・アウトプット。誰もが素直にできて、誰もが認められるようにならなければ、世界はより砂漠化していくのではないかと思う。もう遅いのだろうけど。