先住民族や部族と呼ばれるような人々に昔から憧れがあった。
今となってはそれらも変化してしまったが、僕の意味するのは独自の文化を維持していて、膨張した文明の内側に身を置いていない暮らしをする人々。というのかな。
彼らの生活の多くは自然に根ざしている。信仰や崇拝というものがあっても、それも自然に根ざしている。そして動物や植物に畏敬の念を持ち、適度な距離を保っている。少なくとも一神教やその価値観に染まった文明に見られるような、動物や自然を支配しよう、治めよう、改変しようという感覚は持っていない。
これは最近まで気付かなかったのだけど、僕の中の違和感、現代の感覚が合わないという生き辛さの多くはその部分に根ざしているのかも知れない。
人はどうして動物を超えた存在で在ろうとするのか。
文明はどうして自然を超えた存在になろうとするのか。
僕にはその生き方は難しいのだと思う。文明生活には静寂がないと感じるから。あってもそこに身を置くことができない。そこに平穏はないのだと思う。
人間が自然の中の、動物と同位の存在であるという認識で僕が違和感を感じる物事を捉え直すと、大概のことがしっくりくる。
道徳というものや社会システムへの嫌悪感なんかもそう。全ては動物を超えた高尚な人間様の為のものだと感じるから。
衝動を悪いものと抑え、他人に過度に干渉し、よく分からない善悪で物事を判断し、感情や理屈で同じ人を裁き、人も動物も自然も支配して改変しようとし、同質性ばかり求め、愛を曲解し色んなものに押し付け、挙げだすとキリがないけれど、これらは全て動物を超えた存在である人間だけに見られ、動物より高位であり続けるために求められることなのかなと思う。
自分自身が動物の一種であり自然の一部であることを認識することなしに、ヒューマニティなど求められるのだろうか。それが抜けるから彼らの優しさは押し付けがましく暴力的になるのではないかなと思う。
なんか東方不敗みたいな思想になりそう。抹殺すればいいとは思わないけど。
それはともかく、アイヌやネイティブ・アメリカンの人達のような暮らしに憧れるのはその辺なのかなぁと思い、自分の中で繋がったのが嬉しかった。
何かを繋げようとして連想ゲームばかりしてるんだろうな。
全て個人の感想なので、気にしないで下さい。