感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

野垂れ死

野垂れ死に憧れる。

死ぬならやっぱり病院でも自宅でもなく、どこかでひっそりと野垂れ死にたい。

 

過酷な自然に抗って抗って、遂に生き残れないことを悟って死んでいくとかいうのもいいな。死を悟った後、最期の景色はどんな風に見えるのだろうか。

 

旅先っていうのも有りかな。森の中もいいけど、砂漠や大海原で水がなくなる時、どんな絶望を感じるのだろうか。

寒いのは嫌だから雪原や高山は却下ね。

 

唐突に動物に襲われて死ぬ(ここだとワニかな…)のも悪くない。でも何が起きたか分からないまま死ぬだろうから死を感じる暇がなさそう。それに中途半端に食べ残されたらSNSやニュースに晒されるだろうからなぁ。

 

死、怖くもあり、たった一度しか体験できない可能性が高いと考えるとしっかり味わいたい気もする。

どっかの死刑みたいにじらされてじらされて順番が着たりしたら、それはそれで失禁しちゃうかもしれないし、未練たらたらになりそう。それはあんまり想像したくない。

 

それよりももっと、生きる為に抗いつくして、「あ、ダメだな」っていうのがいい。きっとその時に、また受け入れる瞬間を感じるんだと思う。中途半端な状況でまだ生き残れる可能性が残ってれば、そんな感覚には身体がならない。

 

ストレス状態を超えた時というのは意外に安らかなものだ。あの絶望も、そこで死んでいたのなら受け入れていたということなのかもしれない。

折角生きているから、暫くはいいけれど、死ぬときにはもう一度あれを感じてもいいかな。そう思えるだけで大きな進歩なのだろう。

 

家族に看取られるとかっていうのもいいけど、でもやっぱり僕は男の子だからね。ひっそりとどこかに去りたい。ケンシロウも言ってたでしょ。「俺の墓標に名はいらぬ 死すならば戦いの荒野で」って。それがとてもしっくりくる。

 

リーダー争いに負けて群れを追い出され、ひっそりと死を待ちながら独り余生を過ごす元ボスザルとか見かけた時、あー、なんか良いなって思った。

 

自然の中で最期を感じ、その感覚のまま景色を、過去を、死を眺めてみたい。

誰もいない所でひっそりと。なんだか猫みたい。