感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

エコな商品 人と物 消費活動

エコを謳い文句にした商品に釈然としない。

知人がクラウドファンディングで環境負荷の少ない商品を出すようだ。

 

勿論従来品より環境に配慮するのは良いことだし、社会的にその方向に進むのは望ましいことだと思う。

でもこの謳い文句だとエコや道徳的なことに付加価値をつけて購買意欲を煽っているだけはないかと思ってしまう。

本当にエコがいいのなら買わなければいい。でもこれだと少し原理主義的。

 

大量消費社会や環境への無配慮に疑問があるなら、消費者の商品選択心理よりも消費活動に対する価値観の方に影響を与える必要があると思う。

どれもこれも相対的なものなので、それは個人個人が常に対象となる一つ一つの物との関係に環境的視点を織り交ぜて測らなければならない。

 

僕は買い物自体あまりしない(できない)ので、色んなものを長く使うことだけ考えている。そもそもお金がないので、エコに付加価値を付けた商品は買うことが出来ない。

でも極端な話、環境負荷が多少大きくても長く使えばその分はペイできると思う。

 

フェアトレードや商品と人権の話も、標語に踊らされるだけならあまり意味がないのではないだろうか。

その標語ではなく、その物とその人がどう関係するか、消費者が物の先の現象を、その物を通してどう知り、考え、見て、関わるかの問題だと思う。それがなければ、結局は他人の言葉の上で踊り続けることになる。

 

売り上げの一部を寄付するというのは面白いと思う。でも、その寄付をただの寄付で終わらせる(消費者→ l 企業→ 寄付先)のではなく、一人一人がその寄付というものを追い、寄付先とのつながり・影響を実感する工夫(消費者⇔(企業)⇔寄付先⇔使途)が必要だだろう。そうでなければ一周回ってやはりただの購買を煽る標語に変わってしまう可能性が出てくると思う。

 

 

そんなことばかり言っていたら従来よりエコなものは売れないし、消費社会が変わらないのはわかるし、その土俵に立つことに意味があるのはわかる。人の認識が無意識に優先される機能によるものなのもわかる。多くの人が行動に優先順位が傾いているのもわかる。人そのものは中々変わらないのもわかる。僕が世間からズレている側なのも、このクラウドファンディングがすぐにゴールを達成しようとしてることを見ても明白。

 

でもエコと言いながらその商品がどうエコなのかをもう少し明確に、公平に比較できるように伝えてくれないと僕は納得できない。だらだらと偏りが垣間見える想いだけ書かれ、更に感情を煽るものが入っていると僕は更に納得できない。エコでしかもインスタ映えするとか言われると僕はもうわけがわからない。故意か意図していないのか知らないけれど、良いように誤解されやすい言葉選びの姿勢がなんだか嫌(世の中どれもそうなのだけど)。

 

だから僕がこの商品を単に知人だから、目的は同じだからと応援することは、僕の倫理観には反してしまう。それはもう少し、物と人の関係に入り込むやり方があるのではないかと思ってしまうから。

 

 

以前なら『知人だから』、『共通の友人が皆応援しているから』という理由で応援しただろう。でもそれはもうやめようと思う。ささやかな自分自身へ向けた意思表示として。

我ながらわがままだなぁとは思うけど。