どん底だったおとといの夜から一転し、昨日はとても良いことがあった。多分この世界で僕にとって価値あること達が、沢山舞い戻ってきたよう。
ずっと庭に戻って来なかった鳥が、久々に家族を連れて訪れてくれるように。もっとよく見たくて窓が開き、そうすれば新しい風も入ってくる。それは僕自身をかき混ぜ、何かを思い出した僕は気づけば外を歩いている。そんな感じ。
新しい段階での確認、それは進む勇気を与えてくれたのかもしれない。
兎に角、今朝は久々に明るく、鮮やかだった。こんなにも鮮やかな世界に気持ちが踊り出すのは本当に久しぶり。
夜は明けていなくても、靄は完全に晴れている。今ここにある感覚は確かで、風に身を揺らす何とも言えない色彩の織り成す世界は何よりも確かではっきりしている。
青空と白い雲の群れ。その下の丘に広がる木々は風に揺れ、本当に色々な輝きを反射しながら、葉は色彩のさざ波の中で枯れ葉の茶色とともに戯れる。見え隠れする明るい若い葉達は、無邪気に笑う子供達のように元気だ。排水溝を泳ぐ魚達も、その狭い世界を全力で泳ぎ回る。その狭さはなんと広いことだろう。
手前に広がる無機質なアパートメントや下水処理槽にさえ今は嫌悪を感じない。
いつもの散歩道を朝歩いたのは何ヶ月ぶりだろう?こんなにも遠くが、そして細部が見えることを忘れていた。普段過剰な刺激になるものが、その情報に今は目が耐えられる。それどころか喜びや感謝も感じることができる。
見え方は気の持ちようなどと言う気はない。そんな安売りはしないよ。
この世界の感じ方の素晴らしさは、この瞬間の僕だけのものだ。それだけ今の僕は線が濃くなっている。腕や脚を這うアリ達も、肌をくすぐる気まぐれな風も、それを教えてくれようとしている。
夜はいつ明けるかはわからない。でも今は、今この瞬間の僕には夜明けが訪れないという不安はない。もがきも抗いも不安がなければ必要がないものだ。
このまま流れればきっと。
そう色々なものが、僕と一緒に世界を構成するもの達が伝えてくれる。
不思議と感謝が湧いてくる。いや、知ってたから不思議ではないのだけど。でもやっぱり慣れない僕には不思議なのだ。
コンクリートに締め付けられる木が大きくなればなるほど感じる苦しみ。でも木は大きくなる。その自らの自然を否定しているようなものだった。
一度コンクリートにヒビが入れば、単なる笑い事以上のなんだろうか。僕は君を笑わないけどね。
泥沼から足は抜けた。こうもはっきり分かるなんて。疑念の靄が戻ってきてくれないことが逆に不安になってしまう。でもきっと、また一緒に歩める気がする。
この生を超えた視野を認めることが許されたから、従うことは許された。
本当にありがとう。
また後戻りはあるだろうけど、その泥沼の場所はもうわかった。大丈夫。