感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

ポーカーゲーム

無料のオンラインポーカーゲームとかやってると僕はやっぱりギャンブルやっちゃいけない人間だなぁとつくづく思う。

 

勝ち負けじゃないんだよなぁ。ゲームだしね。

微妙なチップをレイズして自信あるのを隠しているんじゃないか感を出しながら最後にやっぱり来たかって思わせる感じでオールインするけど、実はハイカードでしたみたいな勝ち方に興奮しちゃう。フルハウスとか良い手札の時はカードが揃った嬉しさはあるんだけど、それで勝てるのは当たり前だしね。運を見せびらかしても楽しくない。

逆にこれなら負けない!っていう手で負けるとウソだ~って意表を突かれた感じで楽しい。

これ最早お金賭けてないからできる別ゲームだよね。

 

お互い気心の知れたネットゲーム友達とサシの勝負になった時にオールイン対決になって、結果2人ともハイカードだった時は本当に笑ってしまった。そして負けた。しかも9に。

お互い手の内も性質も知ってるから更にそこからの化かし合いになるんだけど、それが結局馬鹿試合になるっていう。たのちい。

顔の見えないポーカーはまた顔が見えないなりの面白さがある。っていっても顔の見えるポーカーやったことないけど。

ちょっと考えてる感出すために3秒くらい置いてチェックしたり。でもその為にはそれ以前のプレイで間髪入れないチェックをして一定のペースを演じないといけない。そういうのもまた楽しいよね。

相手が全員フォールドした時に手札公開できるボタンがあったりもするんだけど、これは使いどころが難しい。時折わざとらしく公開するとそういう部分を意識してることが伝わっちゃう。

「君こんなカード相手にフォールドしたんだよ?」っていやらしく見せつけ続けて大きめのレイズに対するコールのハードルを下げてあげることもできるけど、読み合いも何もない単なる丁半博打な空気になっちゃう諸刃の剣でもあると思う。

 

疑心暗鬼にさせてチマチマ稼ぐのもいいけど、やっぱり釣り上げてパーッとオールイン!で散るのがいいね。散り際は美しくなきゃ。

プロレスラーよろしく見栄えのいい負けをどこかで狙いつつゲームやってるから、そういう場面が来ると負ける確率が高くても突き進まなきゃいけなくなっちゃう。

それを場に飲まれるとも言うけど、やらなきゃいけない時があるんだ…って気持ち。場には応えなきゃ。そう僕の生まれ持った脇役の血が疼く。

 

現実に持ち込むと危ないね。でも楽しそう。人生そういう終わり方したい。ここぞという時の散華。

空の向こう側

青い空を見た時に浮かぶ、空の向こう側に対する憧憬と好奇心が混ざった気持ち。これってなんなのだろう?前にも書いたと思うけど、やっぱり強く浮かぶなって。

この気持ちってとても透き通っていて清々しいから好き。

 

頭にはすぐさま大気圏だとかその先の宇宙だとか銀河だとかガガーリンの言葉だとかが浮かぶけれど、それとは違う部分でこの気持ちを感じている内に「それでも」って思う。

観測可能な物質的にその外側に宇宙があっても、それ以外のものがあるかもしれない。丸っこい地球と平面が同時に存在しちゃいけないなんて思わないし、いや、別に何もなくてもいいのかもしれないとも思う。

 

この気持ちはやっぱり別の部分で大切にしたいのかもしれない。

この憧れに衝き動かされた人はどのくらいいるのだろう?だから人間は飛行機で空を飛ぶようになったと思うとロマンチックでいいな。

 

人はいつからこの気持ちを持ってきたのだろう?類人猿の時から持ってたのか、もっと前の祖先、原始的な哺乳類や爬虫類から受け継いでいるのか。それとも進化論の外側から来たものなのか。何れにせよとっても長い間受け継がれてきたんだろうなって思うと感慨深い。僕の曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾曾祖父もこの空に同じことを思ったのかな。そういえば僕が大好きだった祖父は学生の頃のノートに零戦を落書きしてた。同じことしてるのがなんか嬉しい。

僕が誰かと共有していないだけで、今もきっと沢山の人がこの気持ちを持っている。歌やストーリーではよく見かけるしね。そしてずっと昔の人ともこの気持ちで繋がっているのかも知れない。種も跨げるのかな。途方もないけどやっぱりいいなぁ。

 

ほら、このタイトルに惹かれて思わずクリックしてしまい今まさに後悔しながらここに到達した辛抱強い君とも、僕はこの気持ちを共有してるかも知れない。ロマンチックでしょ?元を辿れば同じなのかな?遺伝的に辿るか潜在意識の方に辿るか、色々な辿り方があるだろうけど、まぁどうでもいいや。

 

今日の昼、気分転換のお散歩をしている時に空を見てそんなことを思った。そしてその少し後に波打つように優雅に飛び、街路樹のトックリヤシに止まるZebra Doveに見惚れていた。チョウショウバトっていうんだって。僕もあんな風に飛びたいなぁ。でも高くを飛べない彼らはもしかしたら同じ憧れを抱いてるのかな。猛禽がいて危ないからそんなこと思えないか。でももし猛禽がいなくて自由な空だったら?そうでなくても彼らは泳げないから、深い水に同じことを思うかもとか。

 

平日の昼間から何考えてたんだろうか。それを思い出して今もその時の気持ちになってるのは、さっきマレフィシェント2を観たせいなのね。僕もストーリーの中に住みたい。

これもストーリーなのかもしれないけど、そんなソフィー・アムンセンみたいな体験できないだろうし。誰かが僕を主人公にした本を書いていて、「君はその登場人物に過ぎない」と宣告してくれないかな。確証をくれたなら…

 

 

はあ、こうやって僕を引き戻そうとするこの現実の引力が憎いね。風船のように飛んでいきたいなぁ。

空の青と雲の白が交わりそうで交わり切らないその狭間に住みたい。そう思いながら今日も井戸の底に帰る。心地よい水面。柔らかいベッド。

でんでんでんぐり返ってバイバイバイ!

 

今と夢、一昨日の夢、僕と夢

何で人間を生きるのはこんなに難しいんだろう。ずっとトンネルを歩いているようですぐに追い詰められてしまう。

外を歩いて風を浴び星を見ているとその外側に居られる気がするのに、また元の場所に戻ってきてしまう。自然の中にいる自分と人々の中に居る自分がこんなにも違うのは、この2つが全く別の世界だからじゃないだろうか。

そのまま飛んで行ってしまいたくなる。薄れて漂って。でもそれができないのは縛られていて縛ってるからだろう。

 

全て終わればその先は安らかなのかなとか、外に出られるのかなとか、どうしてもそっちに考えちゃう。今を懸命に生きてる人は尊敬に値すると思う。楽しんでいる人達も頑張っている人達も。

僕もそうやって生きれるのだろうか。でも他人の生き方を目で追うべきなのだろうか?

夢の延長に生きている人間にはやっぱりその生き方は難しいのかなとも思う。

今が大切なのはわかるし、森の中に居る時のように今という瞬間の連続で在る時の感覚はとても自然。なんだけど、やっぱり僕は夢の中が好きなんだよね。

 

草の気持ちを思ったりだとか、小さな木に30年後の姿を重ねたりだとか、ピョンピョン跳ねてる鳥の中に入ったりだとか、川の底に見えない魚や怪物を想ったりだとか、花の香りに記憶のワームホールをあっちに行ったりこっちに行ったりだとか、沢山の星々の下で時間も距離も超えたりだとか、あと月を旅行したりね。

今っていうのも難しい。外の知覚に集中していればそうなのだろうけど、僕は気づけば自分の中に居て、記憶や思考やイメージや感情を行ったり来たりしてる。

 

前は夢見がちな自分を良くないと思ってたけど、今はもう認めていると思う。完全にかどうかは自信がないけど。だから今に生きるのが難しくてもそれでいいと思う。今が今とは限らないかもって思っちゃうしね。

 

一昨日2つの夢を見た。1つの夢は(また)ゾンビ系だった。籠城拠点を構えるの。そっちはまぁいいんだけど、もう1つの夢は海外の女子学生が何人か出る夢。

多分僕の家かどこかに数人が滞在していたって設定。で、僕は彼女たちと同じくらいの学生らしい。その夢は1シーンだけだった。夜、翌日国に帰るであろう彼女たちの部屋(個室)に順番に行って挨拶する。2人挨拶して、最後の1人はちょっと親しかったみたいなの。凄く別れ惜しいけど、でも顔を合わせるとその瞬間は嬉しかったから笑顔で別れを伝えられたの。最後にさっとハグをしたんだけど、柔らかいセーターの繊維の感触、温かさ、それとすごく鮮烈な匂いを感じた。人の匂いだけど、そして普段嗅ぐ人の匂いより強かったけど、でも不快ではなかった。懐かしかったし落ち着いた。

夢の中でこんなにはっきりと匂いを嗅いで、そしてその記憶をこっちにそのまま持って帰ってきたことは初めてかも知れない。

 

凄く色んな感情や感覚が入り混じったシーンだった。でも夢にしてはとても自然だった。ゾンビの夢と違ってね!

 

その寂しいけど懐かしくて幸せなハグだけで夢が終わって、その朝はとてもセンチメンタルな気持ちだった。その満たされた気持ちを再現したくて、もう一度その夢に入ってそのままもう出られなければいいのにとも思ったね。今もちょっとそう思ってる。ちょっとじゃないね。いっぱい。 

あんな匂い嗅いだことなかったと思うんだけどな。人間はとても不思議。気付くと手を眺めてる。手がとても不思議。

 

また会いたいな。

あ、いやらしい気持ちはないよ!二人はそういう関係じゃないはず。それに僕は生まれて3回しかいやらしい夢は見てない。1つはゴリラにレイプされる夢、1つは男性にレイプされる夢、もう1つは覚えてないけどそれもろくな夢じゃなかったと思う。前の2つは飛び起きて脂汗いっぱいの夢だった。ネタにしたいけど誰にも言えないからここに書く。多分前にも書いてる。

 

今夜も良い夢見たいなぁ。あんまり良い夢って見れないけど何よりも楽しみ。見れるかどうかもわからない夜の夢を楽しみに一日過ごす日もある。逆?違うんだよなぁ。そう言い切るくらいには現実の濃度が薄い。それだけが救い。

夢は楽しい。無限大。満たされる。現実は辛くなってしまう。現実の大切さが薄い。そもそも現実とは?

 

夢見るから生きれるんだよ。僕はね。Q.E.D.

色、お勉強 から ブログの文体について

今日色についてちょっと調べている時に色彩検定っていうのがあるのを知って勉強したいなぁと思った。でもテキスト今の状況で日本から買って送るのちょっと面倒だし、試験は日本で回数も限られてるしでうーんって感じ。

取り敢えず衝動に身を任せて色の辞典っていうkindle本を買った。本当はこういう本は紙がいいのかなって思うんだけど、海外発送時間かかるし、そんな本読み出して急にどうしたんだろうって家族に思われるのもなんか嫌だから電子版でいいやって。

 

ここしばらくお勉強物に全くときめかなくなっていた僕が勉強したいって思ったのがまず発見。色に対する興味が知識を取り込むという億劫になっていた行為にゴーサインを出した。いや、知識を取り込むという行為じゃなくて知識を取り込むのが好きな自分に嫌気がさしていたのかも。集中力も落ちたしね。

 

色については知識を入れて後悔しないか不安もある。知らないなりの見え方も好きだから。でも見え方が広がるのも確実だからワクワクもする。

例えば景色を見る時とか、色んな自分で見れるといいのかな。できるかな。できる気もする。融合させたり、切り離したり、相談させたり。

 

アウトプット、伝えるということも必要になる場面があるから、その為には知っておくことも必要なのかもと思う。

感覚だけじゃ中々伝えられないから。どういう形にして伝えられるだろう?

 

一日の中でも光によって移り変わる森の色彩、一本の枝に着く葉も光の当たり具合や葉の育ち具合で色んな色を放っていて、それが毎日移ろいでいく。水質によって変わる川の色、反射する景色や光。明暗しか認識できない暗い時間の景色。木漏れ日を拾う小さな木の懸命さが出す葉色。景色の中に自分が一体化している時の見え方。

森での生活は僕の中で知覚と自分と環境の関係を変化させた。色はその中でも一つ大きな意味を持つものだ。

語りかけてくるもので、外から受け取っているのに内から写すものでもあって、包み込む秩序であったり主張するものでもある。

 

例えば目の前で咲く黄色い花のグラデーションが柔らかく優しい微笑みかけるようなものであるか、ケバケバしく主張しているような黄色になるかはその花と僕の周囲の自然を介した関係性によっても変わってくる。溶け込んでいる時は花も僕もその周囲の一部だから、その黄色はとても自然で柔らかな、明るくも秩序を崩さない色になる。

 

っていうようなことをもうちょっとうまく言葉にしたり別の形でアウトプットするような場面は今後もあると思うから、もうちょっとちゃんと伝えたいなって。伝えて伝わるようなことでもないと思うんだけど、でも伝えて伝わる人がいたらその人はそれを伝えられるべくして伝えられるのだろうから、その時の為だけにでも沢山伝えられるようにしたいなって思う。日本語崩壊した。

でももしそんな瞬間が来たら、それだけで全てに意味ができ、一本の線が繋がると思うから、じゃあじゃないけど一生懸命にならなきゃなって。

 

要約すると、単に色んな色を見たり、色んな色に囲まれてその一部であることが楽しいってだけなんだけど。

楽しいって大事だと思う。

 

何か新しいものが見えそう。何かに繋がるかな。楽しいから繋がらない筈はないと思う。一本だから。

 

 

最近このブログ書いてる時、文体も単語も文と文の繋がりもなりふり構わずになってきた。前はある程度調整してたし、考えて直しながら書いてたから。

でもなんか無修正もいいかな。無修正っていうとなんかアレだから無調整にしよう。raw。僕写真撮っても編集面倒くさがるタイプだからね。

言葉って意味が通じるように入れ替えてると段々自分のものじゃなくなる気がする。どのみち受け手は受け手なりに受けるのだし、編集の度合いがちょっと変わるだけだよね。ここの存在意義の8割はチラシの裏だしね。このぐらいでいこうかな!

ついに頭がおかしくなったか…とか思わないでね!いや、そう思われるのも悪くなさそう…実際もうおかしいのかもしれないし、そもそも何をもっておかしいというんだい?

お試し自動筆記

生きることに意味を求めることはない

それそのものが目的だから

ただ生きれば見えてくる

難しく考えないでいい

完成はされる

バラが赤い意味を問うな

出会いにより満たされた

奇妙な夕暮れに見た景色を覚えているだろうか

その美しさに覚えるおかしな感覚

それこそが貴重な瞬間

絶え間ない輝き

過去も未来も全て溶けあう

お前はそのまま月を見ろ

ケシの花が咲く ヒナゲシ

光は呼ぶ 避けなくとも共にある

古い寺院の中の 水が流れる地下、水の中の小銭 記憶の奥底の

紛れ込んだものではない

 


SOUL'S GATEWAY- AUTOMATIC WRITING Guided By Lilian Eden

 

コックリさん的なあれだよね。自分で書いてるのかもしれないしそうじゃないかも知れない。どっちの意味でも自分で書いていると言えるし、自分で書いてないとも言える。良く分からないのは今に始まったことじゃないけど。

 

ちゃんとした自動筆記を試したかっただけだから、質問というか疑問というか知りたいことがちゃんと用意できなかった。いきなりそれを問うように言われて「何で生きてるの?、いや、人生って何?、どうすればいいの?」って定まらなかったよ。結局疑問はそれかよって思うと笑える。

あ、紙と鉛筆を用意するように言われるけど僕はキーボードで打った。今じゃ書くより打つ方が多いからその方が入りやすいと思って。

 

何となく意味があるようで何ら意味が通じて内容でなんか通じてるような気もする。歌詞書けそう。

何でこう、何もかもパズルなんだろう。

 

 

最後の部分、寺院の所は映像を思い出した。ずっと思い出すことがなかったもの。僕の覚えてる限りだと小学校の頃。それより以前にすでに記憶の中にあった。神社か何かの境内の下に入れるところがあって、薄暗い石の回廊沿いに水が流れてる。水には小銭がいくつか沈んでいて、L字の先に外に抜ける所がある。抜けた先は外で眩しい。

これを僕は小学生のある時まで、以前行った市内の山にある神社の光景だとずっと思ってた。記憶の中のその場所が好きで、その頃の僕はそのイメージが浮かぶ度にもう一度そこに行くのを楽しみにしていた。何かの機会でその神社に行ったのだけど、結局その記憶と実際の神社は重ならなかった。それからは「なーんだ、違うじゃん」って単なる夢や記憶違いだったと処理した。

 

もうずっとその光景が頭に浮かぶことはなかった。

この光景、二重の意味で懐かしい。元々懐かしい記憶だったのが、その記憶を見ていた時の記憶が懐かしい。揺れる水面、流れ落ちる水の音、空気の質感、足音や何か声のようなものもある。

急にでた夢や記憶違いではないってことかな。実際の記憶なのかな。

小さい頃に連れて行ってもらった場所の記憶だろうか。この記憶の断片、同じ時のものが何か他にもあった気がするんだけど。

ノスタルジアにうっとりしてしまう。この感覚に浸りながら寝よう。今僕は幸せなのかもしれない。

 

愚痴

自分の時間を侵害されるのが苦手。侵害って捉えるのは仕事だと思ってないからだろう。明確な取り交わしも金銭のやり取りもないんだから仕事じゃないよね?軌道に乗ってから払うってことならそれも明確にしてくれなきゃボランティア感覚でしかできないよ。

 

何でそう感じるのか。

まず文体が上から目線。

それはそういう人だと思えば何でもない。悪気はないのだろうって。いや、違う。彼の言葉遣いが嫌なんじゃない。文体や態度から透けて見える彼の中での彼と僕との関係性が僕は気に食わないのだ。それを見ないようにするために文章が苦手なんだろうとかそういう言葉遣いなんだろうって思い込もうとしてるだけではないか。事なかれ主義はいつもこうだ。僕が勝手にそう感じているだけなんだって。でも確証はないからやっぱり僕は思いこむ方を取る。『被害妄想は良くない』という態度で自分の感覚を否定する慣れた手つき。

 

時間ちょっと使えば自分でもできるようなことまで混ぜてくる。

ちょっとならいいけどさ。君も収入になってない段階なのだろうしお互い様ならお互い様って思うけど、お互い様の関係だと僕が思えてないからこう感じるんだろう。「私は忙しいから~さんがやってね」って言われてないけど僕はそう受け取ってしまう。多分ね、僕のボランティア的感覚を支えているのは「僕じゃないとできない」なんだろうね。だから自分でできることまで振るなって思う。君ができないから手伝ってあげてるのに。

いや、仕事なら別だよ?彼は僕のこと従業員とか既に契約した相手と捉えてるのかなとまで勘繰ってしまう。もしかしたら彼の中ではそうなのかもしれないけど、僕の中ではそうではない。そんな仮定に僕は応える必要があるの?

収入になってない段階なら収入になる事してからこういうことに手を出すべきなんじゃないの?僕は時間もガソリンも通信費も使って、あとサンプル送ってあげた時の送料も貰ってないよ。いや、お金が欲しいわけじゃないよ。物価が安いって思ってるのかもしれないけど給料は段違いに安い中でやり繰りしてるんだから、せめて配慮をね。いや、配慮を求めるのはおかしいけど。

お金は請求しない方が悪いって言えばそれまでだけど、請求したらお金欲しくてやってるみたいだし、何よりそういう関係性が築かれてしまうような気がするから意地でも請求はしない。お蔵入り。もう言いっこなし。言いっこしてないじゃん。してないからずっとしてたのかな。

 

嫌々やってるの?

君も嫌々やらされてるのかもしれないし、それが態度に出てるのかもしれないけど、僕はそこまで考慮しなきゃいけないのだろうか。大体嫌々やってるならそれこそ上から目線はおかしい。自分でできるようなこと振るならせめて理由伝えるなりちょっと申し訳なさを漂わせるなりすればいいのに、当たり前に「やっといてね」的な態度で来るからそう感じる。いや、わざとじゃないのかもしれない。でもさぁ…

 

もしかして自分でできないから僕に振ってるの?

本当は出来ない?いや、流石にそんなことはなと思うけど…でもできないならできない相手を責めるべきではない。ならやってあげたらいいじゃん?なんてならないよ。自分でできないなら尚更こういう案件に手を出すべきじゃないじゃないか。やるなら自分ができるようになるかできる人を雇うかするべき。べき?これは僕の正義なの?なら矛は収めるべきだろう。ほら、そうやって自分に対しては「べき」を許すんだから。ばーか。

 

やってあげもいいんだけど、ほら、このやってあげるっていうの嫌なの。しょうがないからやってあげる。不誠実。不誠実?不誠実の塊が言っても意味ないじゃん。ばーか。

馬鹿はわかってるよぉ!えーん。

 

作業やるのはいいんだよ。いや、良くないけどまぁいいの。何かやってると嫌な気持ちが湧いてくる。「そんなことしてたいそう余裕があるんだな」って。例えば僕が時給700円をはした金と言えるような金銭的余裕と、日々を感謝と温かな気持ちで過ごせるような精神的余裕がある人間ならいくらだってやっていいと思うけど、なんかおかしいよな?何やってるの?ってなる。そんなの気にしなきゃいいんだろうけど、これも含めて全部自分の問題なんだよなぁ。

 

大体そんなことばっかりの人生じゃないか。その時点で自分の態度が悪いってわかるよな。いや、だから人との関わりを減らしたんじゃないの?どうせ事なかれ主義なら関わりを減らせばいいって、事なかれ主義を直す気はないんだなぁ。直らねーよ!そうね。

外で波風立てないように自分の中で波風立ててちゃ世話ないんだよね。結局自分の問題じゃん?いや、そんなの分かってるよ?分かってないかも。分かってたらこうならないよね。

 

でも前よりマシだよね?これだって今までのに比べたら些細なことじゃないか。それが同じように波立つのは結局同じものだから?それとも我が強くなった?隕石でも衝突しないかなぁ。。自分一人の問題解決のために人類および地球の生命を巻き込もうとする。救いようがないね。救われようと思ってるの?いや、違います… いや、違わない、救われたいよぉ!

救われるなら大作先生でもエル・カンターレでも信仰するのに。そうやって他人の信仰を茶化すの?そういう意味じゃなくて…信仰心の欠片もないくせに。

 

 

何書いてたっけ。ああ、我が強くなるのは僕は悪いことだと思わない。でも強くなり方がね。まぁ、それでいいじゃないか。その方が自分らしいと言えばそうだしね。トイレ行ったらしおらしくなってやんの。出すもの出すと落ち着くからね。トイレ以前にこの1時間弱散々出したわけで。もっと怒っていいんだよ。いや、もういいよ。

 

取り敢えず作業をしよう。

僕は決めた。作業はしよう。でも相応にグレードを落とす。仕事じゃないんだから、少なくとも僕にとってはそうなんだから。

頼まれたことの文面以上のことをやるのをやめ、翻訳もわざとちょっと直訳を強くして、とぼけたように.txtでファイル渡したり、返信もわざと忙しそうな時狙って、わざと間違えも混ぜようかな。

なんか陰湿。

 

こいつに任せたらヤバいって思われれば頼まれる内容も減るかなって。それはやり過ぎかな。

とにかく気にし過ぎないようにしよう。わざと間違えるって余計気にしてるじゃないか。深呼吸。凪だ。優しい水面、浮かぶ身体。

 

でも気にし過ぎないって、それができないから困ってるんじゃ?

もうやだ!許して!

 

 

久々の愚痴。形のいいうんこが出ると気持ちいいからね。見せしめに公開。

久々?いつも愚痴書いてるような気もしてきた。うるさい!もうおわり!

 

大人になったなと感じるとき から

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

今夜書こうって思ってた内容があったんだけど、いざ夜になったらやっぱり今はいいやってなってね。丁度お題が目に留まったから書いてみようと思った。

お題とか初めて書くかなぁ。昔やってた別の所だと結構やってたんだけど。

 

成人式は行かなかったなぁ。当時いつも遊びに来てた中学時代の友達が成人式の帰りに遊びに来たのは覚えてる。「スーツしわしわだし似合ってないなぁ」って思っちゃったのも覚えてる。

成人してもあんまり大人になった実感ってなかったな。小学校の学童で指導員の仕事した時は大人っていうより大人側の子供って感じだったし。感覚はね。

 

正直言って子供ができても大人になった実感ってあまりない。

でもずっとちゃんとしようとはしてたんだよ(出来ているとは言ってない)。ずーっと。周りからはそう見えてなかったと思うけど。それはなんか大人側を意識してたかな。

 

だからなのかな。大人っていうのに今も反感じゃないんだけど、自分が物理的に大人であることを意識したくないっていう感じの何かはある気がしてる。大人と子供の違いがどこまでのものなんだろう。見方によっては子供なのに大人より大人な子もいれば大人でも子供より子供な大人もいる。それに良い悪いはないでしょ。

晴れの日を迎えそういう自覚を持つのは何か意味があるのかもしれないけれど、でもやっぱり押し付けられるのは好きじゃないから僕はいいやってなる。

晴れの日は楽しめる人は楽しんで、成人の境界は自分なりに捉えてもいいんじゃないかって。

 

自分が大人だって意識すると「何が大人だバーカ」ってなる。反抗的な脊髄反射。何に反応してるんだろうな。何をそんなに認めたくないのだろう。押し付けられるから?押さえつけてきたから?

うーん、多分だけど、大人であろうとする側の自分、それを放棄したけど、許せてないのかな。だから反射的に蔑もうとする。嫌悪、若干の怒り。頭ではわかってるようでいつものようにちゃんとわかりきってはいないんだろうね。

戻る事への不安がそうさせるのかな。不安かぁ。

 

何で不安かって、それだけ大人であろうとする側ではない自分が定まってなくて弱いからそうなるのだろう。Existential Crisisは越えたつもりなんだけど、トンネルはまだ完全に抜けきってないのかな。

どうしたら全部が自分だと認められるほど強くなれるのだろう?認識?信念?僕にはまだ足りない。僕は昔ばかり掘り起こして見ているようで、それでもまだ足りていない。核心が見つからない。でも何を探してるのだろう。何で生きてるんだろう。そんなことばっかり考えてしまう。意味ってなんだろう。

いや、暗い意味じゃないよ。今の気持ちは灰色に近いピンク色かな。灰色ではない。

 

大人や子供を年齢的な見方をするなら、Age fluidっていうのも感覚的によく分かるし、更に言えば色んな年齢の自分が自分の中で自分とは別に残っている感覚もある。つい最近そんなようなことを書いた気もする。

だから僕は年齢っていうのも、それで区切る大人と子供もあんまりしっくりこない。これは脊髄反射とは別でね。僕はどうしても感覚ばかりを優先してしまうから。

今大人モードだなとか、(内側で)大人君がうるさいなぁとか、そういうのはあるかも。

 

あと、大人と子供を動物のように性成熟で区切るとしても僕は14歳後半くらいだったかな、肉体は変化してもそんなに成体になるって実感もなかった。

首でも狩って証明すればちょっとは違うのかもしれないけどね。

 

ああ、でもおっさんになったなと思うことは増えてきた。油ものがあんまり食べられなくなったり、腰痛になりやすくなったり、集中力も落ちたし、生え際が怪しいのはコロナの後遺症ってことにしとこう。

でもさ、おっさんは大人なの?おばさんは大人?幼児退行したおじいさんは?おじいさんと共鳴する5歳児は?

性別と似たようなもので、順序的な問題でそういう見え方になるんだろうな。

 

お題無視で突っ走った気もするけど楽しかった。何書いたんだろう。上手く日本語になってなさそう。

でも見直すのは怖いからいつも通り投げっぱなし。

 

「大人になったなと感じるとき」って題だった。どうしめようかな…

人は流れ熟していくらしいからね。成熟という意味なら大人が深くなっていくのかな。いや、それは薄くなったり深くなったりするからやっぱり大人は別軸だと思う。

もういいから僕はポニーになりたいよ。