感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

サル山 セクハラ 本能

閉鎖的な空間におけるグループであり、周りから認められた立場上の力関係を体感することが出来る職場をサル山であるとして。

その中である程度自分の立場上の力を自覚しているオスが、メスに対して性的なアピールを隠さずに、一種のマウントとして表出することはサル山としては自然なことなのではないか。

サル山だからこそそういった性質を持ったオスこそがその立場を得られるわけだし、なにも不自然なことはない。

 

それはセクハラが性衝動とは別の次元であることも意味していると思う。勿論オスである以上交尾の隙は狙っているのだろうが、おっさんのセクハラ行動を引き起こすのは性衝動というよりも、群れで下位に位置するメスに対する一種のマウントであって、文字通り本能的なスキンシップでもあるように見える。

 

法律はサル山におけるヒトの本能を抑制はしたとしても、消し去ることは絶対に出来ない。同一個体群の他の個体の目、蔑視や反感はそれを思いとどまらせるに至るが、それは他の目がそのオスザルにとって脅威であるという前提が必要だろう。黙認されると体が認識する状態において、そのオスザルが人間社会と言う別次元における判断を的確に下すことが出来るはずがない。

ある程度地位を築いたおっさんがセクハラで身を滅ぼすのは、ある意味では仕方ないのかもしれない。

 

セクハラ問題はサル山がサル山として存在する以上起こるのであれば、そこに女性が入るというのなら、それを受けることはある程度覚悟しなければならないことなのではないか。

もし女性が群れに入ったとして、オスザルに脅威を認識させることができないなら、女性はその群れの、そのオスが何をしても良いメスという対象になることを黙認したも同義となってしまうのではないか。

そうならない為には、自分の性質をよく理解した上で、さらにしっかり数あるサル山を見極め、そこに入るか入らないかを判断する必要があると思う。特に、抵抗できないような女性はサル山に依存することは絶対にしてはならない。それはメスザルになることを黙認したも同義になるのだから。

そしてセクハラ行動への黙認が重なれば、そのメスザルへの所有の認識が強くなり、例えばそのオスにとっては強制性交へのハードルが下がることも考えるに難くない。

 

 

なんと差別的なことを書いてしまったのだろう。

サルたちは自分たちの摂理に従って生きている。引き合いに出してごめんね。

特定の種を貶める為に書いたのではありません。

 

オスが悪いのか、メスが悪いのか、群れの他の個体が悪いのか、サル山が悪いのか、システムが悪いのか、それ以上の何かが悪いのか、種が悪いのか、本能が悪いのか、そんなのは僕にはわかりません。

どこかしらの観点に立てばどこかしらの観点で僕は黙認し、加担しているのだろうし、そんな僕が悪いという言葉を使えるほどこの件に意志を持ってない。

 

社会的に一個体を抹殺したとしても、浅い抑止になるだけで問題自体はさして減らないことだけは確か。

日曜のうたた寝

どんな情報もどんな刺激も、僕が勝手に知覚して錯覚しているにすぎないのであるのなら

 

天使の羽のような柔らかさで僕の肌を優しく撫でる微風

その心地よさに誘われる安らかさ

澄み切った空間に寄せては返す白いさざ波

それを眺めている内側の自分

 

落ちる意識の中、沈む感覚から反転するこの上ない軽い感覚

その度に痺れ、蕩けるような感覚に身を震わす僕の脳

何とも言えない心地よさと共存する不思議な恐怖感

 

悪戯に揺れるカーテンから覗く、眠りに落ちるには明る過ぎる日差し

沈んでは浮き、寄せては返し、落ちては覚める中で感じる、天使でも宇宙人でもいい何かが僕を抱き、引き揚げようとしているような感覚

 

これ以上に僕にとって事実であることはあるだろうか?

そしてその事実は誰とも共有することができない、僕だけの世界にある瞬間であり、そこにしかない宝物

それは至高の優越の甘みと、もどかしさの苦みが完璧な配分で混在している花の蜜のような味

 

とっても素敵でグダグダな日曜日

月曜日という現実が、別の世界の事実が、それを殺そうと憎しみに満ちた顔でこちらを覗きながら刃物をちらつかせる

そうやって嫉妬深いから君とは仲良くなれないというのに

 

どうやったら君を殺せるのだろうか

ブログサービス

時代の流れなのか、ブログの世界も変わったなぁと思う。

前やってたのは2005年くらいから2010年くらいまでだった。その頃でさえSNSの流行やなんかもあって結構変化は感じたけど、なんだろうな。以前は別のブログサービスを使ってたからその違いもあるのかな。

 

はてなは基本無料とはいえproという機能を売っているから、やっている側にたくさん読んでもらわなきゃって思わせるような機能が多くついている気がするのだけど、そのせいもあるのだろうな。安いとはいえ元を取らなきゃいけない意識も働くだろうし。

 

アフィリエイトやアドセンスが増えたこともあるのかな。

当時はアフィリエイトも少数だったし、あっても趣味人がついでの感覚で、自分の好きな商品や関連する商品をつけてるものが多かった気がするのだけど、ここは商品ありきの記事が多いと感じる。

 

そして何より気になるのはテンプレート的な体裁。これ嫌い。

でもはてな自身がそれを推奨する。

 

 

以前やってた時は、日記系というか独り言系が多かった気がするから、ここまで読む側のこと考える必要がなかった気がするのだけど、そうじゃないものを感じる。それ自体が割合的に少なくなってるから、有用なことを書かなきゃいけないという全体的な意識が働くのだろうか。

発信という時点で読み手完全無視ではないのだけど、なんかこう… 

僕の『ブログ』っていうもののイメージがWeb logであって、単なる日記とかどうでもいいことをウェブで公開するっていう単純なもので、言い替えれば対象を絞らない匿名可能なmixiの日記みたいな。mixi懐かしいな。全然書かなかった。

 

その当時はウェブサイトとウェブログで住み分けというか共存してた。サイトで専門的なことを扱う傍らそのおまけ的なブログで日記を書いてたり。

そのウェブサイト的な機能の一つだった広告収入機能をブログサービスが導入して、手軽な副収入源として客寄せに使うようになったからかな。無料で記事を書かせてそこに付く広告で収入を得ていたブログサービスが、今はその機能を有料で客に貸してる感じ。ビジネスモデルが大きく変わった?

そういえばはてなは昔ははてなダイアリーだった。そっちが僕のブログのイメージであって、現在のブログはやっぱり別なんだ。調べたらはてなブログは2013年スタートらしい。

なんかすっきりした。

 

個人的には気にしなければいいんだけど、その空気って敏感な人がやめる要因のひとつになるんだと思う。僕はむしろそういうブログの方が好きなのだけど。

そしてその空気があると結果的に残ったブログの内容が偏る。いつもの悪循環じゃないか。

続く人が少ないらしいけど、まぁそうだろうなぁと思う。僕が面白いと思ってチェックしてる人もすぐに居なくなってしまう。その人達は早々に察知するのか、それとも単に面白くないからやめるのか。どちらにせよはてなにとって僕のような、そして彼らのような使い方の人ってあんまり関係ないってことだよね。

 

使っていて、グループの機能やUIもあんまりフレンドリーじゃないと感じた。それもやっぱりはてなの重視する所、売りとしたいところはそこじゃないからだろう。

 

 

それってブログサービスの方針によるここの状態なのか、それとも他のサービスも含めた全体的な流れなのか。どうだろう。多分両方だろうな。今はSNSもあるし、ブログの受け持つ役割というのが変わったのかもしれない。

 

スターの機能も悩ましい。任意の足跡的な機能があれば消してもいいかなと思うのだけど、折角来てくれた人の所は遊びに行きたいし。興味や関心とかそういう部分での繋がりってこういうブログでは僕は大切だと思うから。かといってブックマークの機能は初めはとっつきづらかった。

 

うーん。

単なる捌け口兼アウトプットとして始めたのだけど、なんだか居づらさを感じる。所属する個体群を間違えた的な感じ?それとちょっとおじいちゃんになった気分。

気にしなければいいのだろうけど、ちょっと他も覗いてみようかな。極度の面倒くさがりだから引っ越しはしないだろうけど。

浮かぶイメージの羅列

目を瞑って思い浮かんだことを羅列してみる実験。

 

合気道サボろうかな

赤と黄色のチューリップ

暖かな緑の川原

黒い雨と海

夜の草原、ファイヤーピットと踊る先住民

飛び降り自殺

青空に舞う風船

テレビに映る女性の顔

稲妻と閃光

割れたガラス瓶

合気道めんどうくさいな

大気圏で燃え尽きる隕石

ピラミッドと信仰

暗い夜の森と光るキノコ

血塗れの暗いバスタブ

サルの群れの縄張り争い

母に抱かれる乳飲み子、温かくやわらかい

空に開く穴

珊瑚礁と熱帯魚たち

斉射するプロイセンのブラックコープ歩兵戦列

満月

淡く冷たい光

トラウマだらけの団地

サバンナのシマウマ

ピノキオを彫るおじさん

核実験映像

実家の近くのゴミ捨て場

寒気

山の清清しい空気と霊性を感じる森と神社

M2ブローニング

草むしりをした夕方

聖帝サウザー「今日のは口に合わぬ」

安らかな寝息

魔王(曲)

華麗なタップダンスを跳ねる赤い靴を履いたしなやかな脚

春の芦ノ湖

新幹線と思いきや超電導リニア

火星とキュリオシティ

南の島のカメハメハ大王(曲)、歌はけんたろうお兄さん。でも映像は『とんでったバナナ』

バナナ食べたい

鉄板の上でジュージュー焼けるお好み焼き

アンパンマンの氷の女王(怖い)

草原を駆ける馬

海を越える渡り鳥たち

夜の攻城戦。トレビュシェットが飛ばす火球に照らされる城壁

明日の道順

夕暮れの海

Blackmore's Nightのミュージックビデオ

救急車(後ろでサイレンが聞こえたから)

焦燥感

足を滑らせて雲から落っこちるおっちょこちょいな天使

うみぶどう(おとといの夕食に食べた)

木星と衛星たち

F6Fの斉射に右翼が折れる零戦五二型(F6Fガンカメラ視点)

のどかな田園風景となぜかホルスタイン

深淵と水の雫

サファイアの指輪

蚊が飛ぶ音(妄想)

貝拾い

静寂と尿意

お姉さんの優しく、やわらかく、温かい手の感触

積乱雲と豪雨、雷鳴

光を超えるスピード(妄想)

おばけのホーリー

 

 

もう20分経った。なんかもうちょっと意味があるものが出てくると思ったんだけど、意味なんてなかった。それにしてもおばけのホーリー懐かしい。

一個一個の序列には関連がないようで、数個飛ばしに似たようなものが出てるかも。気分が浮いている時と沈んでいる時にもやると何か見えそう。ちなみに今日はちょっと元気めなニュートラル。

 

意味があると見せかけて意味のない詩とか書くには良いかもしれない。

 

なんかとてつもなくどうでもいいことしか書いていなくて折角開いてくれた方に申し訳ないので、いくつかリンクを貼っておきます。

カメハメハ大王、けんたろうお兄さんのビデオがあった!すごい!

おばけのホーリーはエンディングしかなかったよ…

雑草 子供の頃の感覚 色褪せていく世界

僕は雑草が好きだった。

小学生の頃、小さなコップに水を入れ、そこに摘んできた花や葉を挿すのが好きだった。実家が美容院なので、そこに飾ったりもした。

一番最初に覚えている動機は、それをすると母も祖母も喜んでくれたから。とても嬉しかった。最初に教えてくれたのは祖母だった。

 

 

自然が好きだった。

都心へ向かう電車の走る、ドーナッツの端っこのような町で生まれた。駅から数分の線路沿い、祖父が建てた小さな雑居ビルに住んでいた。1階に祖母の美容院、2階に塾、3階が僕の家。

アスファルトとアスファルトの間、建物の土台の隙間、線路の柵の下、小さな公園の端っこ、街路樹の植え込み、駐車場。自転車に乗れるようになって行動範囲が広がるまでは、そういう場所が唯一僕がひとりで自然と接することができる場所だった。

 

オオバコ、スズメノカタビラ、カタバミ、オオイヌノフグリ、セイヨウタンポポ、春にはツクシも摘んだし、秋には線路の柵をくぐってススキも摘んだ。季節のものは特別な感じがして嬉しかった。

ほんのり涼しい春の風を感じる半ズボンの脚、それを暖めてくれる柔らかな日差し、カラスたちの少し不気味な、でも聞き慣れた声。

秋の赤焼け薄暗さが迫ってくる空、寒さが強まる中感じた夕方の焦燥感、硬いススキを引っ張った時の感触、電車の通り過ぎる轟音と軋むような音、ゴムの焼ける臭い。

 

家に帰りたくない。もっと外に居たい。早くススキを挿したい。色んなものが蘇り、込み上げてきて息苦しい。

子供に戻りたい。あの家に帰るのは躊躇するけど、子供に戻りたい。全てが新鮮で新しく、こんな余計なことばかり考えずに色んなことを感じることができた。あの頃は余計なことなどなかった。小さなものも大きなものも、よくわからないものも、いつもそこにあるものも、今日初めて見るものも、その時々で違う風や空気、そして空や景色も、全てが何かを与えてくれていた。感覚。最大限の、制御のない感情。

 

早く着いた1人のオフィスで書いているのだけど、涙が出てきて止まらない。色んなものが蘇ってくる。景色、情景、感情、感覚、感触。深呼吸しよう…

ここ1ヶ月は涙なんてあんまり出なかったけど、幼少期を想起するとこうなる。フラッシュバックとは違うんだけど、本当に色んなものが詰まりすぎているから開けるのが怖いのかな。それが本来的だと感じるから、後発の僕は怖ろしくなって子ども時代の僕をぐるぐる巻きの亀甲縛りにする。

 

知識も経験も全て捨ててしまいたい。新しさばかりが失われていく人生に何の希望があるのだろう?新しく見るものも、触れるものも、殆ど全てが既にある経験や知識に紐付けされてしまって、結局は合理化の産物でしかなくなる。頭も制御も全て捨ててしまいたい。僕を縛り付けるもの全てを…

 

あー、馬鹿らしい。お仕事とか糞喰らえだね。苦しみながらお金をもらって生活して、生きながらえて、その先には色褪せていく世界しかない。僕自身がもうあの頃のように感じることは出来ない。そう見るためには、そう感じるためには、思い込むしか手立てがない。でもそれじゃないんだよ…

 

戦であれなんであれ、30代で多くが死ぬ世界というのは幸せだったのではないだろうか。その鮮烈さを失った世界には、そもそも色も何も残っていないのかもしれない。残っていても色褪せていて、その色褪せた人々が意思決定をするのだからもっと色褪せる。何もかもが。鮮やかなものを色褪せたものが上塗りして。色褪せたくなかったな。これ以上色褪せたくないな…

そう考えると僕がこれ以上生きながらえるのも害悪の一種でしかないんだろうなぁ。ため息しか出ないね。

 

ボケや幼児退行は、脳が最後に与えてくれる褒美なのかもしれない。色褪せた苦痛を味わいつくした後に、全てが終わる前に与えられる褒美。僕はそこまで生きれる気がしないし、望まないけど。

 

 

暴走してるなぁ。話を戻そう。

 

雑草たちは街の小さなスペースで力強く生きて、街路樹や鉢植えの花のような強制された生ではなく、主体的な生を教えてくれる。

違う。書きたかったのはそれじゃない。

 

あー、何が書きたかったかもうわかんないや。おしまい!

お仕事しなきゃ。馬鹿みたい…

お金 力 権力 コネ

お金は力。それは現代社会というものを見たときには明らかな事実だろう。

大きな社会を回す、その上に立つ小さな社会はどこもお金の力を最大限に活用している。

 

華僑の人たちはそれを本当に理解しているのか、既に民族的な本能となっているのか、その多くはその力を得る立ち回りを最優先しているように見える。教育にも鼻が利き、歯車になるような教育を受けさせる人は少ない。子供というのも投資対象として見ているし、それが多くの場合成り立つ。兄弟の中でそういった生活に馴染めない性質のものが居ても、一人が成功すればビジネスは広がるし、その中で彼は役割を見つけることもできる。とても理にかなったシステムに見える。

そうやって資産は増え、元手を早期に手に入れた層は既に家族の不労所得だけでも暮らせるレベルになっている。既に財産を持った家族にとっては息子は働かなくても愛する息子であって、そこまで咎められることもない。何より、お金のない者の妬みなど気にしないのだ。羨ましい限り。

 

生活はビジネスが最優先だし、子供の頃からコネ作り・維持を目的とした会食やパーティに慣れ親しみ育つ。お金は文字通り崇拝の対象にもなる。

彼らは権力には拘らないが、権力がお金に吸い寄せられる。そしてお金はそこに取り入るコネを生み出すものでもある。

これはユダヤ民族が宗教や立場を利用して社会における強さを築き上げた姿と似ていると思う。双方本当の意味で祖国と呼べる所属先がないからという解釈もあるけれど、まぁそれもあるのだろうなぁ。

コネ。祖国という妙な縛りがないから、コネというものの持つ力を見誤ることがない。お金の見えない余計な繋がりも無理して維持しようとしない。合理的だと思う。

 

一方祖国という拠り所を持ったイスラム教徒は、いかに身内を騙すかが基本になる。一度その基盤を生かして権力を持てば、権力を盾に使いながらもやはり騙しながらお金を蓄えていく。その騙す手立て、システムを生み出す能力は仕事を通して受け継がれるものなので、上に立つようになる者は皆がそれをするようになる。それを良心が咎めるような人はそもそも上に立てなくて早期に退職することになるけど、それを自分の中で正当化するだけの良心を備えているからそれを苦としない。何かを手に入れてはこそこそ切り売りするのが好きなのも、どこかパレスチナ問題の序盤の姿を見ているような気分になる。

彼らは低所得層の不満にはしっかりお金をばら撒き、求心力を得るし、その中でも自分の分を抜き取ることは忘れない。中途半端な教育を受けた層による腐敗防止運動は起こるものの、彼らも従属や無力を根底に植え込まれている者たち。結局その運動は大きく広がる前に終わることになるか、それを利用する別の政治組織に取り込まれ、政権が変わって同じ腐敗を繰り返すことになる。権力がお金を生み出すのがこっち。

 

この二つの小さな社会が生命維持の器官として、ここの大きな社会を回している。

 

 

日本の場合も概ね同じだと思う。その2つの境界が薄いだけで、所謂上流社会というものがお金を回し、密接に関わる権力が支配する。それはある意味で当然の原理。

資本主義というものはその金の力の権化だと思う。お金に力があるからこそそそれを原動力に社会が回るけれど、それを回す根拠が己の力を増すこと、お金を増やすことにあるのだと思う。それはまた議会制民主主義ととても相性の良いものだ。

民主主義では権利を自らの票の力で得たと(実際に得る面もあるのだろうけど)錯覚することになる。居るだけで社会に意思決定を及ぼす力だと感じることができる。

でもその勝ち取ったと感じた権利は実際のところ、与えられたに過ぎない面が強いのではないか。

 

民主主義の意思決定に1票に価値がないと言いたい訳ではないの。でも過信も良くないと思う。1票の格差だって是正できる筈がないものを『(力は)平等であるべきだ』っていう謎の前提のためにワーワー騒いでる。

歯車が歯車として存在するなら、歯車としての自覚が必要だと思う。そこに生きがいを見出して、労働者としての誇りを持てばいいのにと思ってしまう。

歯車が嫌という癖に中途半端に稼ぐことや同じ票の重みの幻想ばかりを肯定して、沢山稼ぐ人やそれ以上の摂理は認めようとしない。ルサンチマンは別に良いけど、人をすぐ巻き込もうとするのはやめて欲しい。

 

僕自身はお金にそこまで興味がわかない。それどころか嫌悪感さえ根付いている。でもこっちの華僑のお金持ちと付き合ってて感じるのは清清しさ。お金というものに関して彼らの内側には余計な道徳観という名の良心(笑)と(社会の内側で生きながらえること前提の)リアリズムの鬩ぎ合いみたいなのがないから、無意識に価値観の土俵に引きずり込んでくることもない。

結局お金に関する僕の嫌悪感も、その謎の道徳観が適用され、押し付けられる場に限られるんだなぁと思う。そうでなければもう少しお金ともまともな付き合いができる気がする。土俵を持ち出されると意地になってしまうんだろうな。

 

お金というものに関しては、それが全てではないと思う自分がいるし、その自分が本来的な自分だと感じるからそれを大事にしたい。

それが植えつけられた価値観に対する反発的な憎悪、正にルサンチマンというのも分かるのだけど、結局のところ、土台がその価値観に合わないからその生き方ができないのだと思う。なら自分の今の価値観に従うしかない。

 

役割という観点からすれば、力を持つことが宿命付けられた生粋のリーダーというのがいるわけで、少なくとも僕はそういう表舞台に立つ役割ではないということだと思ってる。

人を引っ張る人こそ人間だ!すべての人がリーダーになれるようにしなきゃ!っていうような考え方を押し付けられるのが嫌いなのは、少なくともそれを押し付けてくる人たちより僕は、僕自身の中では理解しているつもりなんだろうなぁと思う。僕って内側では意地っ張りなんだもん。だから割り切れないんじゃなく割り切ったら負けだと思っている節がある。

 

でもそういう僕と価値観も性格も合わない人たちもきっと、そういう役割があってやってることなのかなぁとは思う。本来的にはその違いの中でも回ったんだろうけど、今はそういう時代ではない。

現代みたいに中途半端に個人主義を掲げられるなら、僕はそれを最大限の逃げ道として活用するしかないんだよね。

 

色んな価値観、色んな考え方が尊重されるには、ある程度住み分けを許す余地が必要なんだと思う。一億総中流とかそういうのは勝手にやってくれればいいんだよ。勝手に他人を弱者の仲間扱いして巻き込まないでくれれば何も文句は言わないよ。

僕は強者弱者以前に土俵に上がりたくないだけなのに。あー隠遁したい。

Hunter's Moon

中秋の名月、Harvest Moonはヘイズであまり見えずじまいだったこともあり、昨夜は楽しみにしていた満月。

 

20時頃まで雨だったので諦めていた。夜、雨が止んだのでお散歩をしていたら雲が薄くなり、ようやく月が顔を出してくれた。薄雲で顔を隠し、恥ずかしがりながら。

暫く眺めていたけれど、折角なので久々に写真が撮りたくなって家にカメラを取りに帰った。

薄雲と湿気で視界はそこまで良くなかったけど、さすが満月さん。肉眼でもかなりはっきり見えた。

 

義兄が落としてしまい、破損しているカメラ。

本体の破損は撮影には支障なかった。望遠レンズの方は破損が激しいのは残念だけど、無いものねだりをしても仕方ない。今ある18-105mmのレンズで楽しもうと思う。

 

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月を撮るならやっぱり200mm以上は欲しくなってしまう。

無理矢理クロップするからかなり荒くなっちゃう。

 

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影遊び。

 

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年単位でまともにカメラ使ってないから光を合わせられないどころか、機能が割り当てられたボタンすら覚えてなかった。でもそれはそれで楽しい。

 

僕の場合、写真は残すためというよりは瞬間を切り取る意味が強い。全てが流れのうちに薄らぎ色褪せてしまうけれど、写真で切り取った一瞬は2度焼き付けることになる。それは流れの中では捉えることのできない瞬間だったり、気づくことのできない部分だったり。

だから綺麗な写真を撮るよりも、寧ろ肉眼に近づけたい気持ちで撮ることが多いのだけど、なかなか難しいものだ。

 

薄雲に隠れてもとても明るい月だった。正に、狩猟季の幕開けを告げ、人々を狩りに誘う灯のように。

月明かりを頼りに森に入るのもまた趣がある。狩りをする人々を思い浮かべながら。

 

熱帯だからその狩猟季は関係ないし、今居るのは森でなく街なのだけど。

 

 

 

昨日はこれを聴きながら月を見てた。Hunter's Moonという単語が出るのは彼女のRunning with the Wolvesなのだけど、気分的にはこっちだった。


AURORA - Dance On The Moon (Audio)

 

この曲が入ってるアルバムで一番好きな曲。とてもワクワク、ウキウキした気分になれる。ひとりで何かを感じながら、白昼夢の中に居る時が僕は一番幸せなのです。その気持ちを表現してくれている曲だと思う。

I dance as I'm falling but I never touch the ground
One day I will penetrate the earth
And explode in motion sounds

この部分が特に好き。その光景が目に浮かぶ表現。

 

Dance on the Moon - Aurora

 

This voice is calling for a touch to be undone
I hope love will come to us again
As a place we all can come
And if I'm blinded, will my eyes become the planets?
Will I float or will I drown?
This voice, is it calling for the world to pull me down?


I feel time looking out my window
Watching me dance on the moon
I feel time looking out my window
Watching me dance on the moon


Oh oh eh oh oh eh oh ah
Oh oh eh oh oh eh oh ah
Oh oh eh oh oh eh oh ah
Oh eh oh ah
Eh oh oh eh oh ah
Oh eh oh ah


I dance as I'm falling but I never touch the ground
One day I will penetrate the earth
And explode in motion sounds
And if I listen, will my mouth be filled with fire?
Will I laugh or will I cry? Ah
This time I become everyone and the world will wonder why


I feel time looking out my window
Watching me dance on the moon
I feel time looking out my window
Watching me dance on the moon


I'm an angel, I'm an atom
And nobody enters my room
I feel time, I feel time
Mmm, mmm, mmm
I feel time (feel time)
(Da da da, da da da, da da da)
I feel time (feel time)
(Da da da da, da da da da)
I think time, I feel time
(Da da da, da da da, da da da)


I feel time looking out my window
Watching me dance on the moon
I feel time looking out my window
Watching me dance on the moon
I feel time


I'm an angel, I'm an atom
And nobody enters my room
I feel time, I feel time
(Da da da, da da da, da da da)
(Da da da da, da da da da)
(Da da da, da da da, da da da)
(Da da da da, da da da da)


Source: LyricFind
Songwriters: Aurora Aksnes / Guy Sigsworth
Dance On The Moon lyrics © Budde Music Publishing GmbH

 

 

今日も月出るかな。