感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から最果ての荒野。

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hasriq3.hatenablog.com

戦争 から 全体主義のせいという欺瞞 Compassion noui

先の戦争を当時の政府のせいにしたり全体主義のせいにしたりする人たちが沢山居るけど、それはどうなんだろうか。

 

まず背景として近代における日本の立ち位置を考えないといけないと思うんだよね。そのためには近代的な価値観のフィルターを付けたり外したりして物事を捉え直すのが肝要。それでその前段階である植民地獲得戦争とは何だったのか。植民地とは何だったのか。そこをすっ飛ばしてる人が多い。戦争の近代化やそれに伴うサプライチェーンの変化、ここは戦争を忌避する人はすっ飛ばしてる人が多い。

日本としての流れ、富国強兵、日清・日露戦争の戦勝、列強入り、この辺は特に大事で、国民が戦争をどう認識していたかということがまず特に大事な要素になる。

 

あと全体主義。これは思想としての全体主義なのか、イデオロギーとして変質した全体主義なのか、ナショナリズムと結びついて更に変質した全体主義なのか。欧州では確かにこの流れが現地の情勢や感情と相まってナチズム、ファシズム化までいくのだけど、日本の場合はこのどれにも当てはまらないよね。日本の場合は性質的に主義としての全体主義ではなく、全体主義的現象だった。同質社会、村社会的同調圧力、群集心理、これらがナショナリズムと結びついたものであって、これを全体主義というのはかなり的外れだと僕は思うのね。

特に群集心理は重要な要素だった。当時の新聞を見ても分かるけど、大本営発表は欧州の、民衆や情報を操作するために研究されたプロパガンダとは大きく異なる。政府の方が国民の期待に寄せていたのが大本営発表の特異な所だった。これは当時の一枚岩ではない政治体制を見れば保身の側面もあったかもしれないし、戦時に挙国一致体制を崩すわけにもいかないというのも理解はできるところ。

それに現代だってこの国民と政府の関係は何ら変わっていない。自粛要請とかね。

 

何が言いたいかといえば、全体主義と言ってしまえば別のものにすり替わってしまうし、政府のせいと言ってしまえば当時の流れや国民のムードを無視してしまう。欺瞞なんだよね。何かのせいにすることで自分は違うってことにしたいのが主軸の。まぁ終戦直後は政府のせいというのは落とし所として国民にも戦勝側にも都合が良いのだろうし、当時としては機能的役割があったとは思うけど。

 

寧ろ認識すべきは我々一人一人が無意識に不安や恐怖が生み出す感情や理屈のムード、流れに乗ることで群衆になる可能性があるということだと思うのね。でも残念ながら、何かのせいにしたい層にとってはそれを直視することが難しい。言い換えれば直視しないために何かのせいにするわけだからね。自分を善の側に置くために。

 

二元というのはいつもそうで、善が意識の中に発生すれば必然的に悪が同時に発生する。二元下では悪(または非善)の存在が善の存在条件だから。戦争には様々な観念が付随するので、そういった善悪のような二元にも巻き込まれやすく、澄んだ目で直視することが難しくなる。タブー視されたり、問いが閉じ思考停止になりやすく、一面的でしかない共通見解や通念のようなものが幅を利かせる。それが多くのものを覆い隠してしまう。

 

そうやって戦争を忌避した所で、自己と向き合わない限り結局はムードに流されてしまう。忌避するということは抱え続けるということでもあるから。そしてムードに流され手のひらを返してもすぐに忘れる。そもそも意識してないから。

戦争が良いとか悪いとかは置いといて、過去に戦争に向かった群衆と同じものが再現されたのがコロナ期だったし、SNSの日常だからね。

結局、少なくともギロチンの時代から群衆は変わっていないし、文化圏を越えた普遍性が少なからずある。

 

戦争の中で良い側面や美しいものを思い浮かべてみてって言われてどう思うだろう?もし不謹慎だって思ったり嫌悪感が少しでも湧くならそこには固定観念がある。その欺瞞や二元の外側に出られたなら、良い側面や美しいものを思い浮かべることが悲惨さや苦しみを蔑ろにすることと結びつかないことが、認識以前の、知覚の自然な状態になるから。そしてよりクリアに痛みや悲惨さを直視するためには必要なことでもある。

それが正しいとか意味があるとか言うつもりもないけど、少なくとも少しでもより澄んだ目で見るというのはそういうことだと思う。そしてそこから見る世界というのは、欺瞞や二元の内側から見る世界とは全く別のものになる。

まぁいいや。

 

 

それでねそれでね、最近何度も聴いてるんだけど、この人の歌すごく好き。


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ちょこっと聴いただけで惹かれたんだよね。先週からずっと聴いてた!

包容力があると言ったらいいのかな。調べてみるとあんまり沢山歌を出してる人ではないんだけど、どの歌もとても惹かれた。大体こういう時ってその人自身に感じるものがあるんだよね。その人から産まれた曲だから全部好きみたいな。

nouiはインドネシア出身でシンガポールで活動している人。作詞が別の名前だけど、作詞名義は本名で、nouiはアーティスト名義という使い分けみたい。

それで調べてみるとインタビュー動画があったから見てみたんだけど、この人は子供の頃のトラウマを統合してるんだなと思った。親を恨んでもいない、そういう世代なんだって思うようにしてると語っていて、その包容力なんだなって腑に落ちた。自分の過去にしっかり向き合ってきた人なんだと思う。

痛みや苦しみを経験することがcompassionに繋がると言っている人がいた。compassionは上手く日本語にできないけど、同情のように傲慢なものではなく、内的な経験を通した理解しようとする姿勢的な感じだろうか。痛みや苦しみを否定しないそういう包容力。それが彼女の歌には滲み出てると思う。