もう8月だよ…
最近までちょっと忙しかった。
義父が病院にかかりにうちに泊まりに来たけど急に体調を崩し、病院もキャパオーバーであまりよく診てもらえず、食事を胃が受け付けなくなってしまい毎夜嘔吐であまり眠れず、段々と衰弱していき諦めて村に帰り、そして暫くして亡くなってしまって、その葬儀、法事とか。
睾丸の腫瘍だったんだよね。場所が場所だから酷くなるまで我慢してしまったみたいで、こっちに来た時にはもう転移してたんだと思う。こっちに来たばかりの時はまだ元気そうだったけど、顔色が黒いのが印象に残ってた。
最期にあそこまで苦しむのは可哀想だった。僕にとっては肉親ではないけど、7年同居したし、とても良くしてもらったし、居た堪れなかったな。
できることは試したけど、あまりに苦しそうで、状況的に察するものがあって、少しでも早く安らかにっていう気持ちにもなっていたから、2回目に村に帰るって言い出した時は反対しなかった。最期くらいはこんな所よりずっと生きてきた村がいいだろうしね。帰ってから1週間後くらいかな、亡くなったのは。
村はイスラム教だけど、それ以前のアミニズム的慣習と融合していて、ちょっと特殊。
遺体を包むのにこちらの植物を使った茣蓙っぽい物を使うのだけど、義母がこっちに来ている時に市場でそれを探していたんだよね。そんなこと一言も言わなかったけど、やはり察していて準備しようとしていたのだろう。
お墓は森の中にある。同じ種類の木が植えられていて、その大きさでどのくらい前に亡くなった人か何となく分かる。僕の知っている人ももう5人以上そこに葬られてる。土葬だから皆、物質的にはその木の一部になっていってるんだよね。
葬儀後は7日間、多くの親戚が一緒に寝泊まりして、女性陣は毎日沢山の食事を用意することになる。その忙しさと会話で喪失感や悲しみが紛れるのもあるんだろうなと思った。日常を共有する中で故人のことを話したり悲しんだりもしつつも、誰かが静かになってるとちょっかいを出したり冗談を言ったりする人がいたりね。日本だと粛々と悲しみを表すことが行動規範化しているから、不謹慎だと怒られたりしそうだけど、葬儀が宗教権威によって制度化された日本と違って、コミュニティとしての在り方が残っているのだろう。
急だったけど、そういう祭事の連続のような日々の中で日常を取り戻すのも早かったかな。次の法要が30日目、その次が100日目。それが終わるまで毎週金曜は親戚が集まる感じ。って言っても小集落だから村全員ご近所だし親戚なのだけど。
コミュニティ。何かが起きた時に帰れる場所ってコミュニティだけなんだよね。小集落というコミュニティには助け合いがある。本来的に共助というものが語れるのはこの形態の社会だろう。
複数のコミュニティが文化圏を形成して上位にソサエティが位置するようになり、文明を形成し、更にその上位に国というものができた現代では人は自分がどこに帰属しているのか分からなくなる。そのどれにも帰属しているとも言えるし、どれにも帰属していないとも言える。
ましてや国や文明は制度化のためにコミュニティのような集団は解体したがるものだ。制度化の結果コミュニティが死ぬとも言えるのかもしれないが。思想と同じでね。
でも一つ言えるのは、人が何かあった時に帰れる場所、そして頼れるのは顔、個の繋がりであるコミュニティだけということだろう。最小の単位である家族や親戚も含めてね。戦時の疎開でも、大災害なんかで社会システムが麻痺したり崩壊した時でも。華僑や在日朝鮮人コミュニティなんかがそういう場面で強さを発揮してきたのは、社会に依存しないその繋がりという別の社会を維持していることなんだろうね。
一方で、頼れるコミュニティや人を持たない人たちは、生き残るためにコミュニティを形成することを余儀なくされる。生まれては消え、取り込まれ、徐々に大きくなる、必要性によるコミュニティ。でもこれは、部族や小集落のような血を分けた者たちによる原型的なコミュニティとは性質が違い、寧ろソサエティや都市国家の原段階としての集団なんだろう。だから大きくなれば人は顔ではなく数字になる。
でも人々は属す。まとまろうとする。それは本能。でもその本能は、本来的にはソサエティや文明、国のようなものに属すためのものではなく、部族社会のような形態に最適化されたものと考えるのが自然だろう。でもそれと同じ本能をもとに、人々はまとまる。同質性の下イデオロギーを形成して群衆にまでなる。本当に不思議。でもそんな帰属欲求のために群衆にまでなっても、帰れる場所、頼れるのはコミュニティしかない。それを現代人は忘れすぎなのではないかなってふと思った。
ウェスタンで言えばギャングなんかもそのコミュニティの一形態だよね。運命共同体。アウトローって取り分け日本人には悪い人って思われがちだけど、フロンティアという法の支配圏の外側で生き抜いてきて、国家や法の拡大に抗いながら取り込まれていった人たちなんだよね。だから法=規範である日本人にとっては悪い人って認識されるけど、フロンティアにはまたフロンティアの規範があったわけで、その中ではアウトローもシェリフも、それぞれ力も規範も倫理も持っていたから、悪とは何かが問いとして生きていた場所であり時代なのだろう。
現代でも生きている、マフィアやカルテル、海賊なんかもそういう視点で見ると面白い。特に中南米やカリブ、フィリピンではそういう武装組織が地域や政治を支配したりするけど、それは法治が及んでないとは少し意味が変わる。国家というものの発生や支配構造の構築段階、前段階における違いが国によってどうあるかってことなんだよね。
いつも通りとりとめがなさすぎるのでこの辺までで…
これ好き。