感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

接し方と関係性の変化 諦め Cicada - "棲居在溪源之上 (Seeking the Sources of Streams)" キャベツの千切りブラックソルト&マヨネーズがけ

おひさ!

忙しい一か月がようやく終わった…

苦手なタイプの人と接するのは大変なのだけど、接し方を変えてみてから関係性も少しずつ変化してる気がする。コロナの時期は正直この人との関係はもういいかなぁとも思ってたのだけど、今くらいの関係性なら苦も少ないしまだまだ学べることも多いかなと思う。ただ僕が消耗するのは変わらないから、そこは頭に入れておかないと気づいたときには気力が吸い取られてる感じになっちゃうけど。

 

接し方を変えてみたのは、この人との関係はもういいかなって思ったからだった。縁が切れたら切れたでそれでいいや、というかどこかで向こうに嫌われれば距離が離れるかもっていうのを期待しながら、少しストレートに物言いをするようにした。これは多分頭で意識的にやってもダメで、無意識的に関係を維持しなきゃいけないって思い込んでた部分が崩れたからこそ全体的に僕の態度の相手に対する向きが変わったんだと思う。縁が切れてもいいというのは、ある意味関係に対する諦めに近い。

「しょうがないなぁ」って気持ちで頼まれたことやってると気づいたら色々やらされるってことが多かったけど、「何で僕がそこまでしてあげなきゃいけないの?」って感情を少しずつ露わにさせて応対してると向こうは珍しく下手に出てきたりもする。それが何か面白い。

 

よくよく考えれば、僕は自分の感情を抑えすぎるところがあるから、それを相手に読めと言っても無理なことなのだろう。マニピュレーティブな人はこちらが抵抗しない部分につけ込んでくる来るのもあるけど、こちらがそれをする隙を与えてるという部分もあるのだろうなと思った。

意識的に出してやらないといけないから、どこまでやってもポーカーとかのブラフ感が消えないし、なんか滑稽に感じてしまうけど、表現の練習みたいな感じで少しずつ出しながら向こうの出方を窺ったりしてた。それが何か、今回は結構思うようにいった。

 

そこを突いたら身を引くよ?別に僕はそれでいいよ?って空気を出しておけば少なくとも上に乗る隙は与えなくて済む。そうしているうちに完全にではないけど、以前よりは対等な関係性になったから、今は新しい見方でお互いを見てるのだろう。そこで改めて思ったのは、僕がやられて嫌なことをやられてもこの人は嫌と感じないということ。寧ろあえてそれをやってみると好意的に受け止めてきたりする。この人はこういう風に世界を見てるんだなっていうのが、前よりもはっきり見えてきた。

 

一時期はこの人との違いが苦痛でしかなかった。でも今は、接していると確かに疲れるし消耗するけど、面白いなと思える部分も多々ある。

でも暫くの間はもういいや…ちゅかれた…

 

 

あとこれ、すごく好きなの。


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Cicadaの曲はどれも好きなのだけど、この曲が入ってる新しいアルバム『棲居在溪源之上 (Seeking the Sources of Streams)』が本当に素敵。その中でもこの曲は特に好き。語彙がなくなるほど好き。

これアルバムのプレイリスト。

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アルバム全体を通して山をゆっくりと歩いてるようなストーリーに包んでくれる。それぞれの曲もストーリーを語りかけてくる。そしてそれが表現している世界が本当に好き。

 

車で聴いてるといつもの辛い殺風景の中に木々が現れて空気の質感まで変わるような感じ。こういうのってあれだね、現代に生まれて良かったと感じる数少ない瞬間。

音楽に守られて生かされてるんだなぁと感じるね。

 

早く森に帰りたい。そればっか。

こういうこと考えてるとおセンチになっちゃう。

 

 

あ、そうそう、キャベツを粗めの千切りにしてブラックソルト(fine)振りかけてマヨネーズ少しかけて食べるととっても美味しいよ!名付けてキャベツの千切りブラックソルト&マヨネーズがけ!手軽で美味しくて毎食食べれる!真似していいよ!