感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

競争 から、エンジョイ勢

前にも書いたと思うけど、競争は昔から苦手だった。競争が当たり前になってからも、やらなきゃいけないからやるってだけだったんだよね。順位や点数になぜそんなに躍起にならなきゃいけないのかよく分からなかった。

小学校に入る前から7年間通ってたスイミングクラブ、泳ぐのは好きだった。級審査はまだ良かった分かんなかった。速いと受かる。でも1級の次になると競技コースとダイビングコースに分かれて、僕はダイビングコース選んだ。何で競技を選ばなかったかって、そのコースを選ぶ人たちがやる気満々な人たちばっかりだからか、行っちゃいけない方だと思った。ダイビングはどうだったかといえば、足ひれつけて普通の水泳コースで練習するの面白くなくてやめた。

 

小学校のクラブ活動は楽しかった。4年の時は料理クラブ、5年の時はゲートボールクラブ、6年の時は卓球クラブ。料理クラブはフルーツポンチ作ったり手打ちうどん作ったの今も覚えてる。とても楽しかった。懐かしい。

 

中学の部活は剣道部だった。なんで剣道選んだかって、優柔不断だから最後の最後まで決まらなくて、結局友達が選んだところにしただけだった。背も低かった(相手の背が高いと面打ちが頭頂に突き刺さって拷問だった)し、力もなかったし、正直どう動いていいのか、何をしていいのか分かってなかった。というより自分が何をしているのかもわかってなかった。部活中も頭にあるのはいつも別のことだった。

そんな僕は公式試合で勝ったのは1回だけ。上級生にはパワハラ紛いなこともされたし、楽しいと思ったことはなかった。

 

友達は幽霊部員になってやめていくけれど、僕は辞めるとか言い出しづらいから中々やめられなかった。2年の中盤ぐらいで喘息が酷い時期、タイムとか計る係やったら楽だったから味を占め、その後は半仮病(喘息があるのは本当)でずっと補佐役やってた。そっちは楽しかったな。いや、楽だった。

 

そんなこともあって、高校は部活に入らなかった。

 

競争と言えば小学校の徒競走、僕はいつも真ん中より遅いくらいだったと思う。走る時の姿勢について教えてもらったのは中学2年の時だったから、それまではいつも前のめりでバランスを保つのにばかり必死だった。

徒競走で一つだけ思い出に残ってるのは、小2の時の50m走。

10秒99という凄く微妙だけど語呂だけは良い数字が妙にツボで、しかも同じタイムの子が一人いて、ずっとそれを話題にしてお互いを10秒99と呼び合ってた。そういう楽しいことしか記憶に残ってないというか、順位の要素は割とどうでもよかったんだと思う。というより、なぜ皆高い順位や成績を目指すのか理解していなかったかもしれない。

 

テストもそうだった。高い成績を取らなきゃいけないと言われても、何故かを理解してなかったし、何より楽しくなかった。好きな教科の点数だけ良い子だったと思う。

 

高校は無理せず行った所だったから、授業聴いてれば上位だったのが楽だった。でもそこではテストの順位が公表されるシステムがあって、勝手にライバル視されるのが嫌な感じがした。何で勝手に測られて勝手にライバル視されなきゃならないんだろうって。指定校推薦とかあったから必死なのもあるんだろうけど、それなら尚更自分の順位だけ見てこっちは見ないでくれればいいのにって思う。結局僕は色々あって転校したけどね。

 

ネットゲームも色々やったのだけど、僕はいつもエンジョイ勢。ゲームだから勝ち負けはあるのだけど、それよりも印象に残るプレイや自分の中でドラマを演じたりするのが好き。

 

シミュレーション系が一番好き。再現の体験そのものだから、自由度が低いようで色んなことができる。その過程がいろいろ楽しい。

 

アクション系のゲームだと、孤立した味方を助けに行ってやられるプレイとか大好き。周りにとっては無駄死にでも僕にとっては無駄ではないし、それどころか一番楽しい瞬間。1人ロールプレイ状態で頭の中ではいつもドラマが展開されてる。

 

ストラテジー系では相手の想定外のことをするのが好き。

勝ち負けを意識せずともそれなりに勝つのは、結局そういうプレイの為に一生懸命になる所があるからだと思う。下手だとそういう一瞬をものにできないし、そういう機会も減ることになる。

正攻法を知らなければ裏もかけない。大事なのは相手にこちらが何かを意図していると関係ない所で思い込ませること(突拍子もない作戦というのは虚を衝かなければ成功するはずがないということ)だから、色々な定石を把握しておくことはより重要。

それが成功すれば、結果的に負けたとしても気持ちいい。普通にやって普通に勝っても楽しめないのだから、やりたいことが成功したという精神勝利は寧ろ主目的である。だって、ゲームは楽しむためにやるのだから(と言うと勝たなきゃ楽しくない人達に怒られる)。

 

 

エンジョイ勢はエンジョイした方がいい。勉強もそうだし、趣味もそう。自分がそうであるなら、先ずはエンジョイ勢だと自覚した方がいい。

大事なのは、それを快く思わない勢力に屈することのない気持ちだと思う。屈した時点で彼らが見ている競争原理に組み敷かれ、エンジョイが消えてしまう。そうなれば本末転倒だし、色を失うだろう。

理解されようとも思わない方がいい。それよりも、別のものを見ていることを自分が理解することが大切だと思う。

 

仕方なしに競争の中に生きるなら、その中で自分に合った楽しみを見つけるのがいいと思う。それか、潰れないように一歩引き、他の時間に何かエンジョイに徹するか。ただその場合、潰れないことが主目的になってしまうんだけどね。