感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

幸せの感覚

ふと思ったのだけど、幸せってどういう感覚なのだろう?幸福感っていうの?時々「超幸せなんだけど!」とか、「幸せ過ぎていつ死んでもいい!」とか聞くけど、自分の感覚と結びつかないから想像がつかない。

マイリトルポニーのピンキーパイとか幸せいっぱい感じてるんだろうなって思う。

 

何なんだろう。作りが違うのかな。僕は別に不幸ではないし、寧ろ恵まれているのだけど、感覚的に幸せって感じることがない。頭でこれが幸せなのかな?とか、この状況は幸せなのかな?とか考えることはあるけど、幸せだなぁっていうのは感じたことあったかな。美味しいものを食べて「幸せ」って言う人もいる。僕は美味しいものを食べて「美味しいなぁ」とか「綺麗な味だなぁ」とか「落ち着くなぁ」って感じるのだけど、幸せを結び付けようとすると「これを食べることができるのは幸せなんだろうなぁ」みたいに長ったらしくなってしまう。

お風呂で「幸せ」という人もいる。僕は「気持ちいいなぁ」とか「落ち着くなぁ」とか感じるけど、「落ち着くのは幸せだなぁ(なんだろうなぁ)」ってなる。結びつくことは結びつくけど、別の感覚にその言葉が付随してるだけで直接幸せを感じてるわけじゃない。

 

脳内物質の出方の違いなのかな。それとも心理機能の順序?興奮か何かと関係があるのかな?直情的っていうのと関係あるかな?幸福な空気を放ちそれが伝染するように、言葉に出される類の幸せって外向きの感情なのかな?

色々考えてしまう。

 

僕が一つ分かるのは多幸感。これは脳内で出るのが分かる。報酬。淡い光に身体全体を包まれるように感じる絶対的な安堵というか。ある種の薬はこれなんだろうな。

多幸感は幸福感の一種らしいけど、多分これは最初に書いた『幸せ』っていう感覚とは質的に異なる気がする。わかんないけど。

 

でもこういう幸福感を普段から感じる人はいいなぁって、少し羨望もあるけれど、それはそれで大変なんだろうなぁという気もする。僕が普段幸せを感じていたら、絶望に耐えられなくなるような気がするから。だって幸せという何かを感じるということは、それを失うことも感じるということでしょ?

多分、憂鬱に入り浸って躁を知らない僕が、双極な性質の人を見る時に感じる「大変なんだろうなぁ」っていうのはこれに似たものだと思う。

 

だから、『幸せ』っていう感覚が分からないことも一種の幸せなのかなぁと思ったり。それは捻くれてる?

何事も一長一短だね。