感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

過渡期と思うものが過渡期でないという疑念 ドリー

 

僕は何を探してるんだろうなぁ。一生探し続けるのかな。なんていうんだろうな。前に比べれば輪郭も浮かんできた気がするけど、核心には辿り着けない感じ。それを阻んでいるのは自分自身だというのも何となくわかってる。

そう、そういうことも含めて色々分かってる自分がいるんだけど、その自分は少し離れているというのかな。うーん。

 

以前に比べれば大分内面も落ち着いたとは思うんだよね。でもその中で改めて見失ったものもあるし、僕自身については深めようとすれば深めようとするほど分からなくなる。いや、分かってるんだよ。ただどうしようもないというか。うーん。まぁ、ハッキリした人から見ればそれも言い訳なのだろうけど。

まぁ、僕という人間はずっと優柔不断だったからね。別にそれは悪いとは思ってもいないのだけど。

 

生産性が前にも増して落ちたね。いや、そもそも生産性の何が大事なのだろう?僕が今まで生産してきたものに何の意味があるだろう?ばっかじゃないの?(二重の意味で)っていうのが一つ。

じゃあ今の自分にとって大切な何かを生産するか、それとも今無意味と感じるものを生産しながら別の価値でそれを見るか、色々あると思うのだけど、結局オーバーシンキングで動けない。

考え過ぎとか言うけどさ、考えようと思って考えてるわけじゃないから厄介なのであって。切り離すかって思ったけど、思考を切り離せるのは意識下のみなんですよね。人には得意不得意があるから。

リンゴを見た瞬間ただ美味しそうとか綺麗とか思えた頃っていつ頃までだろう?純粋さに憧れるのは不純な思考や連想の連鎖に嫌気がさしてるからなのかな。うーん。

 

僕はこれは一時的なものだと思っていて、探しているものが見つかれば、トンネルを抜ければ、生産性もグーンっとうなぎ上り!っていうのは言い過ぎであっても、多少迷いも抜けて何かに取り組めるようになるかなぁって。そう思ってはいるものの、中々うまくいかないっすね。まるで探しているものなんて本当は最初からなくて、『迷って探す』という部分を延々と続ける呪いでもかかってるんじゃないかと思ってしまう。その疑念。

その一つ一つのプロセスは僕を作り替えていっていることは分かっているけれど、ではその先に何があるんすか?っていう。まぁ何もないのだろうし、何かあるのだろうけど、結局これをいつまで続けるのか分からない限り、いつまでも続くかもしれないという不安に苛まれる。いや、まぁいつまで続いてもいいんだろうとは思うんだけど、それは生産性に響くし、もっと言えば(物質的な)生活に影響が出るからね。それは良くないでしょ?ってハッキリ言えなくなったなぁ。バランス悪いかなぁ。いや、でも一時的だから…過渡期…

 

楽しいことを考えよう。

そういえば今さらだけどファインディング・ドリーを観た。面白かったし、中々考えさせられる内容だった。消えかけた記憶を辿っていく。

ドリーの場合は記憶がエピソード記憶にならないのではなく、取り出すところに難があるということなのかな。思いつめる性格ではないドリーだとしても、やっぱり自分を形作る記憶が曖昧なことは辛かったのではないかと思う。って、これはかなりズレてるな。歪んだフィルターを通ってますねぇ。彼女は純粋にお父さんお母さんに会いたかったわけだからね。

 

うーん、気持ちが乗らないなぁ。お開き!