感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

マンデーブルー お仕事 カエル

平日はオフィスでお仕事。僕はいったい何をしているのだろう。いや、お仕事だけど。何故こう仕事内容に納得できないのか。目的がお給料って理由だけじゃ納得できない性格なのにお給料のために仕事してるからだろうか。

 

やりたいことのためにやっているような業種で、でもやっていることはお給料のためのお仕事。ポーズだけなんだよ。でもそのポーズに皆胸を張る。僕はその姿を見て幻滅する。

徳を積んでるような顔をしても、結局食うためのお仕事じゃないか。だからレポートも何もかも厚塗り化粧になる。中身は薄っぺらいのに。馬鹿じゃないのと言いたくなるけど僕はその中で同じお金を食べてるわけですね。そんなんで自らの存在を肯定できる筈もなく。

 

あ、いや、やってることがポーズだけでお金を稼いじゃいけないなんてことはないんだよね。うん。何を高望みしているのだろう。

多くはそれで納得してやっていける。納得してやっていけるというのが既にすごい。どういう魔法なんだろう?適応ってやつか。

 

月給が安いことは僕にとっては救い。力を抜きやすいから。給料分働けば自分はまぁ納得するからね。あんまりいろんなことが求められて給料もその分多いとなったら押し潰されるだろうし、納得もしないだろう。

 

僕はもしかしたら、皿洗いとかそういう仕事の方が向いてるんじゃないだろうか。単純作業。牛馬となって働く。まぁそれはそれで無理だろうなぁ。

 

内職のように個数ごとに決まった単価というのは、それはそれでいいかもしれない。馬鹿らしくなって飽きるんだろうけどね。飽きるとは違うなぁ。合わない。合わせられないのが問題?僕は十分合わせてるつもりだけどな。 

 

 

雇用になると、特に正規の雇用になると、お給料や雇用条件が良くてもロイヤルティを求められるような気がして無理。いかに労働者の権利が羅列されていても契約とは宣誓だ。

オー、マイロード。わたしはあなたに何を誓い立てれば良いのでしょうか。既に1人の領主ですらない企業、集団に。

単なるお金と労働力の関係なら傭兵でいいのに、これはそんな関係でもない。あなたは傭兵に忠誠を求める。なんということだろう。

 

終身雇用はまだそれを体現できたのかもしれない。捧げるものに対する対価が十分だし、生と生という点で分かり易い。あなたの僕となる代わりにあなたの庇護に下る。

分かり易さは重要だ。労働と経済という風に、切り離されれば切り離されるほど感覚的には分からなくなる。

その方が計算上わかり易くても、人間そこまで合理的にできていないし、そこで功利性まで求めれば余計に意味が分からなくなる。

いや、まぁその方が分かり易い人もいるのだろうけど。

 

何と言うのだろう。今の状態はドライにしてはウェットすぎるのではないか。

ドライならドライでさらっとしてていいし、ウェットならウェットで血の契約を交わせばいい。

中途半端。労働者、経営者、どちらの視点に立っても自分側が不利に見える不平等。ねじれ。

 

 

上司?上司とはなんだろうか。

尊敬される王は王としての、領主は領主としての、貴族は貴族としての責任を果たさなければならない。それがヒエラルキーの基本ではないのだろうか。

上司部下の関係は単なる指揮系統だ。それもお粗末な。でも精神的には位階を主張する。強引で歪な関係。

上と言う割にどこが上なのか全く分からない。話していても同じ人間じゃないか。

態度でわからせろと言ったって同じ階級として生まれたのだから無理だろうけど。でも、だからこそ上下関係が賤しくなる。キャリアに自分の価値をつけようとすればするほどに。

それが悪いというわけではないけど、そこに華はない。

そこにそれを求めるのがそもそもおかしいというのは分かるけど。

 

虐待の連鎖とか言うけど、上司部下の関係だって似たようなものでしょ。経験的事実によって出来上がった母親像も上司像も、出来る過程だってそれを抱いて自らが重なっていく過程だってそう変わりはないと思うけど。多分中高生の部活だって、共に過ごす期間がもっと長ければ、先輩後輩の関係に似たような形ができやすくなると思う。(直情的な若さがある分、目も当てられないものが出来上がるかもしれない)

 

 

まぁでも、いっそキャリアや収入に自分を認められるなら、それが一番賢い生き方なのだろう。仲間の中で階段を上り、大きくなる。理想像に重なっていく。

吐き気がするね。いや、自分を当てはめると。そういう人がいくらいてもいいし、自分の目標を持ってそれに向かって頑張る姿はきっと輝いてるのでしょう。でも僕には無理。

 

僕は所詮どこにいてもアウトサイダーだったから、結局その生き方しかできない。

晴れた気分でそう思えるのは、やはり一つ抜けたということなのだろうか。群れも歯車も無理!それは分かってたけど、今なら笑顔で言えそうだ。

 

じゃあどうやって社会と顔を合わせて生きていこう。

今だってかなり無理して社会の端っこの方に入ってその中で生きてる。できれば外に出たいけど今の状態は避けられない現状に対して丁度いいと言えば丁度いい。どのみち中に居ればストレスしかないのだ。今のストレスは耐えられる程度には何とかなる…

 

ほら、あれ、水を張った鍋にカエルを入れて徐々に温度を上げていくってお話。あれが頭に浮かぶ。

大丈夫、大丈夫と言っているけど、大丈夫じゃないのを知覚していないだけかもしれない。