Youtubeを見ていると一日がすぐに終わってしまう。このコンテンツの幅広さは素晴らしいと思う。でも今のホームフィードのシステムはすぐに見ているものが偏ってしまうのであんまり好きじゃない。
YoutubeといえばYoutuberというものがある。Youtuber系でサブスクライブしているチャンネルはあんまりないのだけど。
やっぱり収入源としてやるとなると再生数を増やす努力をしなきゃいけないのだろう。正直言って編集が鬱陶しいのは無理。効果音や強調のテロップがあるとこれは合わないなって思う。見ている方向が既に違う。
自然系でいえば途上国の人が 原始的な食料採集や食事や建築をするものがあるけど、あれも好きじゃない。どう考えても先に捕獲してあったり、毒を抜いてあったり。手作業建築系もフレームとフレームの間が飛び過ぎていて気になってしまう。それだけなら工夫してやってるんだなぁでいいのだけど、映っている人のやらされてる感が凄いのでそれがどうしても気になってしまう。
再生数的にもの凄いお金が動いている筈だけど、雇われ役者として端お給料しかもらってないような気がしてならない。勝手にそう感じるだけなのだけど。
合うものは何だろうな。何かを分析したり、専門家の見地で伝えたり、日常や趣味をそのまま映したり、そういうのは好き。心理学、哲学、スピリチュアル、料理、園芸、旅、そういうのには合うのが多い気がする。追求している人、自分を生きている人は好きだな。
僕がサブスクライブしているYoutuberを一人紹介してみる。
推しって言うの?僕の推しYoutuber、Great Depression Cooking(大恐慌クッキング)というチャンネルのClara。
Great Depression Cooking - Pasta with Peas
クララは6年ほど前に98歳で亡くなられた故人。
撮影・編集は孫とその知人のようだ。活動は2007年から2012年なのだけど、現在でもたまーに撮りためてあったものや再編集がアップされる。動画は全部で40本ちょっと。サブスクライバーは697Kとファンも多い。
彼女の動画は料理系に多い創意工夫を凝らしたオリジナリティのある料理でも、材料にこだわりのある料理でも、画質の良いスタイリッシュな料理でもない。
1915年生まれの彼女は大恐慌時代その時を生きた人で、タイトルの通り当時作った料理の作り方を、その時の想い出を振り返りながら紹介してくれる。
料理自体は質素、というより貧相な家庭料理だけど、それぞれの料理には沢山のエピソードが詰まっている。それを彼女は調理法の紹介の合間に振り返りながら世間話のように語ってくれる。
経済的に苦しい時代の材料も少ない料理だけど、その料理を作りながら彼女の頭に浮かぶ飛び飛びの想い出は本当に豊かだ。その想い出は、縛られない、乗り越えた人ならではの余裕さえ感じる。
そしてどれも彼女の温かみ、優しさが反映された人間の日々が溢れている。
その彼女の人柄が滲み出ているからこそ彼女は愛され、死後もファンが増えているのだろう。ある意味で本物のドキュメンタリーだと思う。
おばあちゃんの家庭料理系動画はとても沢山あるけれど、クララはやっていることを理解し、主体的に調理し語っているという意味で本物のYoutuberだろう。それは料理を紹介したいからなのか、話したいからなのか、孫への愛からなのかは分からないけれど、紛れもなく彼女の動画なのだ。
彼女の動画からは、他の動画に多く感じるやらされている感は全く受けない。想い出の語りも誘導されていない自然な記憶の点灯によって起きているようで、とても心地が良いのです。その情景を彼女の中から引き出しているのが他でもないその紹介するメニューの調理(手慣れていて手際がとてもいい)で、そう考えると料理自体は箱を開ける鍵のようでもある絶妙さ。
その箱から出てくる彼女の想い出は、聞いていると彼女の頭に浮かぶ情景がそのまま共有されるような気がしてくる。そしてその情景は経済的には苦しい時代な筈なのに温かさや愛に満ちていて、それさえも分け与えてくれる、そんな気がする動画。
やはり愛は双方向で、放つ人には自然と帰ってくるものなのだろうなとか思う。
気になる人は是非見てみてね!残念ながら字幕は自動生成しかないけれど、一応日本語の自動翻訳があるのもあります。
因みに最初にYoutubeのホームフィードの悪口を言ったけど、クララの動画に出会ったのはホームフィードのおかげかも知れない。鬱についての動画をよく見ていたから、同じDepressionの大恐慌で繋がったのだろう。それには感謝しないといけない。
でもやっぱり使いづらいよ!