『郷に入れば郷に従え』と言う人が他郷に入った時にその地のマナーに従いきれないことが多いのは、自らの郷もとい所属集団に対して抱く強い帰属意識の裏返しなのだろう。
他郷に入って自然と従える人はそもそも他民族との境界が薄いのかも知れない。そういう人は自らの郷において他郷の者がしたマナー違反に対し寛容なことが多い。
それは自集団と他集団という視点で見ていないからだろう。
どちらが良い悪いの問題ではなく、パラドックスが面白いと思った。
郷に入れば郷に従え、これは郷の中の自分の視点。その言葉に何を込めるか、排他なのか尊重なのか、その部分。
自らの郷を大事にするのは大切なのだろうけれど、虎の威を借る狐のような意識が強くなれば、他郷に対するリスペクトは虎に引っ張られ身動きが取れなくなる。尊重しなくてはという意識の裏腹、なぜか関係のないはずのアイデンティティに引っ張られてしまう。
相対的な契約。
でも郷土愛はその形だけではない。
無条件に郷土を愛し自らがそれに包まれている意識があれば、自らの行動によって郷土と自己の関係は揺るがない。
絶対的な関係。
前者はヘイトが多くなる。不安定だからだろう。集団で幻影が共有されやすい。
行動を示すことに意味が生まれ、移るから、余所者の行動に敏感になるのかも知れない。
後者は余裕が必要。熟さなければ難しい。根本的には個々其々のもの。時に孤独。
どちらもそれぞれの良さがあるのだろう。そして互いに理解し合えない。
この関係は多くのことに当てはまると思う。