目に抱かれ虚無の静寂に浸り、浮かぶ。
目に抱かれる、どこから入ってきたフレーズだろう。
目は優しい。力強い。
井戸の底に映る目は辛苦を吸い柔らかく見つめる。
虚空を見つめる目は煌きの中を彷徨う。憧れ。
無垢な目の輝きは連れ戻してくれる。希望。
信じる目、悟った目、迷う目、憎む目、蔑む目、不安な目、悲しい目、虚勢の目、堕落の目、拒絶の目、魅了する目、怒る目、あさましい目、引き寄せる目、瑞々しい目、温かな目、陶酔の目、無関心な目、熱心な目、媚びる目、深みのある目、投射する目、絶望の目、活気ある目、歓びを知る目、追及する目
色んな目がある。
目はざわつきを生む。恐怖、不安、攻撃は伝染であり、干渉なのだろう。
自分の目は見えない。鏡に映る目は、見ようとするから見られるための目だ。往来がない。
語る目は一枚裏にあり、だから語る。伝えたがりなのだろう。表情に混じる虚偽に反抗するのだろうか。目は素直だ。見たいから見られたいのだろう。
目は入り口であり出口であり、それそのものだ。
抱く目は全ての目を包み、静寂に還す。だから抱くことができる。
僕にとっては希望なのだろう。
シュルレアリスム的なものの良い所はこれを自分が書いたのではないと言い逃れできる所にあるのかもしれない。質問や突っ込みをされても回答できませんという投げっぱなしの爽やかさ。それでいて羞恥心も満たせる気がする。
何より、理性を介入させても目に抱かれたいと思うあたり、それは収穫なのだろう。