感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

親鳥

生まれない卵を、すり替えられた無精卵を抱き続ける雌鶏を見て笑う?それが無精卵だと知らないから馬鹿だと、その行為は無駄だと。

親鳥はなぜ卵を温めるの?子供が欲しくて待ち遠しいから卵を温める?自分の子が欲しいから卵を温める?

でも親鳥が卵を抱きたいから抱いているとしたら、卵が愛おしくて、それを抱くことに歓びを感じているとしたら?それでも馬鹿だというの?

 

己に似つかぬ子を育てるホオジロを可哀想だと憐れむ?本当の子供はその似つかぬ子に殺されているのに、それを知らずに実の子ではない雛を育てる親は可哀想だと。

でもその親鳥にとってそれが紛れもなく愛する子であるなら、その第三者視点の事実がその親子の間でどんな意味を持つというのだろう。親が子を愛し、子が親に育まれる、それだけのことではないか。温かさは変わらない。

 

愛にもいろんな形があるのだろうけど、僕から見える愛はそういうもの。絶対的なもの。客観的な見方は確かに賢いのかもしれないけれど、だからといってそれが正しいとは思わない。

主観的な愛の繋がり、温かく柔らかい実感の世界。とても安らかで、ふんわりしている。

 

問題は、その世界は真逆に反転することもあるということだ。実感そのものの世界では辛すぎるから理性が発達したのかな。でもこれじゃ二重苦だよ。