感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

元父親の記憶 嫌悪

僕はあの人を父親と思っていないのだけど、掘り返せば事実として父親だった。

遡れば遡るほどそれは当然のものであって、疑いの余地のないものであった。

 

今の僕の年齢の時のあの人の、5歳の子供として僕がいた。

その頃の僕はこの人を父親だと認識していた。物心は付いていた頃だ。既に色々なものを見ていた。理由はわからないけど母が泣くのは悲しい、ただその感覚が残る。

それでも父親という存在との関係を疑うことはなかった。

 

悲しいことは当たり前に起こるものだった。だからお酒が嫌いだった。お酒があるからと思っていたのだろうか。お金のせいだと思ったこともあったのだろうか。仕事のせいだと思ったこともあるのだろうか。

どれも間接的なものにすぎないと気づいたのはいつの事だろう?

「やめて」と何度言っただろう。馬鹿の一つ覚えのようにそれしか言えなかった。ああいった場面で口から出る言葉はそればかりだった。あとは泣くとか叫ぶとかそんな程度だった。

恐らくこれも美化しているだろう。こちらに矛先が向くことは少なかったとはいえ、実際に痛みを知った以上怖いものは怖かった。「自分に矛先が向くことは少なかった」というのは学習の上の傾向を記憶しているだけなのだから。

 

外に助けに行こうにも、祖母に助けを求めて電話しようにも、その仕打ちを受ける母に止められたらそれまでだった。「いいから」って言われても「良くない」ということを学んだのは相当後だった。でも成功体験とは大きいもので、一度や二度それが効くとそれに頼ろうとする。単純。

 

あの人を個人として恨み拒絶することを覚えたのはいつだろうか?とても遅かったのだ。

僕は年齢の割に幼かった。中学前半ではまだあの家庭があの構成で続いて欲しいと願っていた。

 

なんと暴力的な発想だろうか。

でも疑うこともなく、父親がいなくなる=崩壊の恐怖だった。継続の日々が終わる恐ろしさ。実際はそんなことないのにね。中にいるとそうなってしまう。迷路の中のネズミの思考。僕は何度それを人生で痛感すれば良いのだろう?

結局の所、あの人を否定し恨むことができたのは、あの人自身が勝手に家出をしてからだった。嫌悪はその後のものなのだ。極新しい、実害の後のもの。でもその嫌悪は今では僕にとって大切なものになってしまっている。それがあっても色々おかしな回路になっているのに、もしそれがなかったら?

 

 

あの人が家を空けた期間、3週間はあったかな。精神のリズムから、迷路が箱の中にあると気づくには丁度いい期間なのだろう。思考が異常の外に出るには、継続的なストレス環境が自らを生かしているわけではないと気づくには、その程度は離れないと気づけないものだ。朝陽のような眩しい思考で、それを受け入れる心身が開かれるのはいつもその後だった。

そしてようやくその存在を不要だと思えた。

 

 

共依存は単なる関係の在り方であって、夫婦であろうがカップルであろうが兄弟であろうがなんだろうが、たとえ他と比べて歪んでいようとそれはその2人の在り方だと僕は思う。それは良い。

 

でも僕という主体にとって、僕という存在の目を通して見た世界で、その夫婦にとって僕自身が1つの鎖になっていた時にどう考えればいいのだろう。

 

僕が居なければここまで母が苦しむことはなかったし、僕が嫌だと思う光景は早くに去っていたのだ。痛み苦しみを見るのが嫌と言いながら、ある期間においてそれを生んでいたのは明らかに僕の存在そのものであった。

僕があの人を父親だと認識していて、そこから脱却できなかったこと、その意識は弟妹にも継がれ、より強固な鎖を作り上げた。それは母に現状維持を正当化させるものであって苦しみの増幅装置として(他の面があったとしても結果的には)機能したものだったのだろう。

 

外から見れば意味のない、それでいて極端な仮定かもしれないが、『僕の主観』というある程度バグっているものからしたらこれは一種の事実であって、だから事実それそのものなのだ。

 

僕の大切なものを肯定したい立場に僕が立つ時、僕は否定されるべき存在として僕の中に存在し続ける。捻れ、捻れ、いくら捻れてぐちゃぐちゃに絡まり分からなくなっても、それだけは確定的な事実になっている。そのバグをバグと言える程度には疚しさを捨てられても、バグはもう固定されている。弄ることのできない領域で、自動的に否定される。肯定するための否定が否定のための肯定を生むうち、否定と肯定が捻れ合う。その螺旋が三つ編みを作り上げ、狂騒的な唸りと叫びと泣き声と動悸のリズムを奏でる。

 

いつも以上に訳が分からなくなってきた。僕にとってはより中核にある深い泥沼だからね。覗くたびに反転を繰り返す。

 

弟や妹も僕のその「やめて」を学んでいった。それぞれにやり方を学びながら。なんて壮絶でぞわぞわして気持ちが悪く地獄のような重苦しさでそれでいて滑稽な光景だろう。誘発する感情の爆発。泥の塗り合い。足の引っ張り合い。傷つけあってその傷を舐め合う。

家族という意味のわからない幻想に縛られた可哀想な人達。歪んだ世界の住人。

 

中にいる人間は囚われ続ける。記憶の中で。

だから嫌悪するんだね。これもまた線引き。肯定のための否定。

 

もうやめ。変な夢見そう…