感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

コールドスリープ NPCとプレイヤー タコ

物事の多面性と断片化した様々な自己の持つ記憶によって作り出された、壮大で終わりのない矛盾の海に揉まれ、流され、沈み、浮く。その現実感のない混沌に、ともすれば僕は今果てしない時間がかかる恒星間航行中の宇宙船の中のカプセルでコールドスリープ状態なのではないかという馬鹿げているけどどこか真剣な推測が頭を過ぎる。

 

全てが僕の主観という曖昧で偏っていて錯覚で流動的で感情的で根拠のない色褪せる誇張される改変される、そのプロセスが繰り返される上に成り立つものなのだから幻覚だとしよう。

でもそこに感じるということは事実で、それだけは事実として認識していて、事実でなければ全てがなくなってしまうから事実であって欲しくて。

例えば過去の交流の中で、その相手が僕の幻覚の賜物であったとしても、その人の持つ独自の世界と僕の世界が交錯するような、干渉するような、互いの内側が主張しあうような、互いが互いの重力で引き合う星のような、その感覚は僕にとって事実であって、いわば僕にとっては幻覚であってはならないものであって。

それは僕が主観的に、感情的に、NPCと他プレイヤーの存在を識別しているかのように他人とそうでない人たちを分けているような、なんともご都合主義というか排他的というか、そういう機能化されたものを作り出している。

 

そう、他プレイヤーは幻覚ではないという感覚がある。

僕がコールドスリープ状態の身として、幻覚でも夢でもいいけど、それを延々と見続けているけれど、そこにはこの現実と言う幻覚を通して確定的に干渉する人が存在する。彼らも同じ宇宙船の中のカプセルに居るのだろうか。僕が眠る前に知り合った人々を別の僕達が形作ったものなのだろうか。平行宇宙が存在するとして、他の宇宙の同じ位置に居る人なのだろうか。別の理論に成り立つ前世があるとして…時間軸上のループがあるとして…漠然とした疑問が尽きない。

でもそんな疑問はどうでもよく、僕の世界が他の世界と、この現実感のない現実と言う世界が媒体となって通じたという点が事実だ。その内容がいかなる感情的交錯であれ、干渉であれ、とてもロマンチックでしょ?

いや、僕自身は他の人の脳内に存在する一縷の電気信号が生み出したものかもしれない。なら僕は実在する君の中に居る。そして僕は実在していない。これパーフェクトじゃない?

 

 

ところで、本当にカプセルの中でコールドスリープ状態中だとしたら、僕はどんな姿をしているのだろうということを思い浮かべたとき、忍者タートルズのサワキちゃんに「タコ」と呼ばれてたキャラクターが頭に浮かんだ。名前が思い出せない。

 

僕はあのタコのような生き物で、間接的に肉体を操作していたのかもしれない。だからこんなにも、自分の手が、足が、首が、自分の意図するように動いていると感じることに違和感があるのかも。みんなもタコなの?

 

 

なんてことがオフィスへの道中、頭に浮かんでいた金曜日の朝。

皆さん良い週末を!週末?本当に週末があるのだろうか。そろそろ本当に精神病棟で目を覚ましそう。でもそれも悪くないな。

 

 

*タコ、ユートロム星人のクランゲって名前なんだって。全然覚えてない。

因みに僕が観ていたのは1987年バージョンのテレ東版らしい。「サワキちゃ~ん」「うるせぇタコ!」のやり取りがまだ脳内に残ってる。

 


ミュータント・ニンジャ・タートルズ OP