感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

人類の川 想いの種 祈り

我々の祖先の中で、鳥を見て空を飛びたいという想いを初めに抱いたのはいつの誰だろう?その思いは他の者と共有していたのだろうか?

 

月をより近くで見てみたい、月を掴んでみたいという想いを抱いたのは?

 

僕の内側にあるその憧れ、その願望、その夢は、僕とその人達を一本の流れとした場合、上流から流れてきたものなのだろうか?僕はこの感覚は僕が自分で得たものだとは感じない。受け継いだのかは分からないけれど、もしそうだとしたら、夢見ることもより華やかな意味を持つようになるのではないだろうか。

それは川の上流から流れてきた胡桃が、下流で芽を出し、育ち、実を結ぶように、上流からの想いが、流れ着いた先で土壌を見つけ、いつしか木となり実を結ぶかもしれないという意味で、一つの大きな祈りのように感じることもできる。

 

空を飛びたいという想いは、全ての人ではないけれど、我々の中で芽生える可能性のあるものである。それが数ある人の中で、時には養分を分かち合い、いつしか実を結ぶ者が出る。

熱気球で飛んだモンゴルフィエ兄弟だったり、ライトフラーヤーで飛んだライト兄弟だったりと考えると特別な天才が作り出したようにも見えるけれど、飛ぶことへの情熱や意志は、創造という壁を乗り越えて大きな実をつけた彼ら以外にも、いたるところで花を開いている。それらの意志が別々に生まれたのではなく、それぞれの川を上流へ遡れば、太古の一人に繋がるとしたら。

川それぞれは繋がりが見えないとそれぞれが支流・分流だとは気づかないものだから、そういった願望、意志も気づかないだけで繋がっているのかもしれない。

インド人の彼も、モロッコ人の彼女も、タイ人の彼女も、ジャマイカ人の彼も、スペイン人の彼女も、ハンガリー人の彼女も、日本人である僕も、血の川を遡ればそれぞれが分流であると気づくように。

 

関係ないけど、血を繋ぐ行為はどう足掻いても分流から支流を生む行為だ。それが近親交配であれ、亜種を跨いだ国際結婚であれ、距離の問題でしかない。その距離と次の世代に託す想い、それを生み出す衝動や気持ちは(恐らく多くの場合は)関係がないものだ。

飛翔への想いも血の川と同じように、実になった物体、例えば飛行機を通して体系を形作り、小さな支流たちが本流となる川へ合流していく。

なんかとってもロマンチック。

それはまた、我々の仲間を月へ送り出した想い、深海へ送り出している想い、様々なものに似た物があるのかもしれない。

 

そんなことを想像している時間が楽しい。

 

 

僕も何か夢を、憧れを、願望を、そういった想いを生み出して、祈りを込めて下流に流すことは出来るだろうか。中継地点でもいいけど、やっぱり一個ぐらい自分のを流したいな。

下流で誰かが拾ってくれると信じて。想いが実る日が来ることを信じて。

 

そうであれば、僕の夢たちもより主観を超えた意味を持って浮かばれ、祝福されるだろうから。