感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

月明かり 夜の散歩と感情の表出 闇に紛れるのが好き

まだ月が明るい。

夜の散歩が日課となっているのだけど、月が明るいと外を歩いてもベンチに座っても、落ち着くことが出来ない。

明るいと一人の占める範囲が広くなる。

 

ふと気づいたのだけど、暗闇に紛れている時、僕は感情を顔に出しているような気がする。

それは僕にとって、本当に必要な時間なのかもしれない。

明るい時は誰かに見えてしまうかもしれないから出来ないし、家には家族がいるからできない。

 

表情は人前ではほぼ常時支配下に置いている。意識してるわけではないけど、昔からそう。人前で表情を顔に出すには余計なステップが必要。

 

せめて家族の前ではと思うのだけど、気づいたら家族の前では柔らかい顔をしなくてはいけなくなってしまった。

物思いに浸っている時、ニュートラルな表情に遠い目になるのだけど、その顔をしていると妻に心配される。心配されるということは内面を探られる可能性があるからか、無意識に避けてしまう。

「何考えてるの?」って聞かれると答えられない僕自身を責めてしまうので聞かないで欲しい。

心は結局開けなかった。強がってしまったのだろう。それでも不満なく仲良くやっている。

家族としてなら寧ろそれでいいのだと思う。

 

そんな僕でも過度のストレス下にいる時とか、逆にサプライズを用意してるときなんかは隠し切れてないようだ。バレてる。

表情を支配下に置くには意識がこっちにないといけない。ストレス下だと意識がトリップしてるし、何かを想像してる時はそっちが表情に出てしまっているのだと思う。

ポーカーフェイスが得意というわけではない。自分の感情を探られないように必要に駆られて表情を作っていたのが根付いたんだと思う。

 

 

家庭に居場所がないというわけではないのだけど、やっぱり1人の時間が必要。

 

結婚する前は暗くした自室のベッドで感情が決壊して泣くことがあった。抱えきれないから決壊するわけで、それも大切なことだったんだと思う。

感情が喪失していた時期は日常に実感が何もなかった。それを越えてからは寧ろ感情が強くなったと思う。自分を見つけ、認めようとするようになってからは更に。実感を追い求めてるからかな。

 

だから外に出すことができない辛さも頻繁に感じるようになった。器が小さいんだと思う。

 

自室で出すことが出来たのは悲しさだけではなく、嬉しい時はそのまま嬉しい表情でも居られた。今はそれができる場所が家の中にない。

すぐ涙が出てしまうのにこらえなくてはならない。

 

この前友達に話を聞いてもらった時、「泣きたい時は泣いた方がいいんだよ」って言ってもらったのに、それが上手くできなかった。

泣くためには部屋じゃ足りないんだと思う。部屋を閉め切ったらおかしいと気づかれるから。察されることも無理。プライベートのためにキャンピングカーが欲しいくらい。

 

街では外に出ても人がいるし、車の中でも外から見えるかもしれない。街で一人になる為には夜の闇に紛れるしかない。

そんなこんなで夜の散歩がより大切な時間になっているのだと思う。外だからワーワー泣くわけじゃないけど、悲しい顔はしてると思う。

 

最近の夜の散歩は、月が明るい。月は魅力的なのだけど、その明かりは僕の居場所になる闇を奪ってしまう。月に見られているということは他の目に見られているかもしれないということ。外に出したい感情を抱えたまま月明りの中を歩くと、人目を気にする犯罪者のような気持ちになる。そわそわして落ち着かない。

早く新月になってくれればいいのに。

 

闇に紛れるのは昔から好きだった。僕が自由を取り戻せる時間。猫みたいに自由に過ごせる。

悪いことはしない方なのだけど、学校の校庭に不法侵入するのはよくやっていた。もう時効だと思う。

目立つのが嫌いだからか、自分で服を買う場合は暗い色になる。貰い物が多いから暗い色の服ばかり持っているわけでもないのだけど。侵入するしないに関わらず、闇に紛れたいときは暗い服を着ていた。

 

校庭では何をするわけでもなかった。学校そのものにはあまり想い入れもない。ただ、広い空間の中で一人きりという状況が担保されるのが学校の校庭というだけ。

ぼーっと座ったり、時に駆け回ったりしていた。端から見たら狂気か変質者だよなぁ。

 

一回だけ校庭に行くときに通る校舎の近くで窓に近づきすぎて、赤外線センサーが反応したことがあった。微かにカチって聞こえて、センサーが点滅するのが見えた。探知したのに気づかれるって防犯機器としてどうなんだろう?抑止にはなってるからいいのか。

裏門の塀を出て少し歩いた辺りで、正門の方に向かうお巡りさんのカブとすれ違ったのを覚えてる。ごめんねって思ったけど、まぁお巡りさんも仕事だしいいかなとも思った。

 

高校時代色々と大変だった時期、お巡りさんにはお世話になった。

あの2年間は、昼も夜も呼び出されてあいつらと一緒に過ごさなければいけなかった。時々通報されるとお巡りさんがきて解散させられるということがあった。

悪いことを避けて過ごしてきた僕にとって、初めの内はそれは辛かった。ヤクザ見習い連中たちと同一視されることでもあったから。でもそれは次第に、家に帰ることが出来るという意味を持つようになった。束の間だけど眠ることができるということだった。

だからお巡りさんは嫌いではない。

帰り道も一人の夜道だった。お巡りさんに解散させられた夜だけは、一日の終わりの安堵感があった。再度呼び出される確率は低かったから。

 

夜は悪い思い出も沢山あるのだけど、それは朝も昼も同じ。

多分僕には夜が合うのだと思う。一人になれるから。この意味があるのか無いのかわからない現実から消えることが出来るから。

 

バイオリズム云々で23時までには寝なきゃいけないとかいうけど、それよりもストレスの方が心配だしね。

あとは亀仙人が月を壊してくれれば、もう何も言うことはない。

 

 


AURORA - The River

 

Aurora Aksnesの歌は表現というより、この子自身がそれぞれの歌を体現してると感じる。全部大好き。1:39のくるくるする所とか、分かる人にしか表現できないと思う。

彼女がビデオの中で走るシーンは感情が解放されてる感じがすごく出ていて好き。

 

彼女はよくBillie Eilishと比べられているけど、二人の見ている世界は全く違う。表現の原動力や持つ意味も違うと思う。沈むことに関してはかなり違いがある。

Billieは救いがない中の開き直り感があって聞いてて辛い歌が多い。沈むために沈んでる感があるから引きずり込まれる。

Auroraは悲しい歌も温かい。自分の見た世界を通して辛い中の人を勇気づけたり居場所を与えようとしているんだと思う。浮き沈みがセットになってるし、沈むことがプラスの意味を持ってる。

というのが個人的な感想。 

 

 The River
Aurora


Hold your hands up to your chest
And tell me what you find
Out of you, a sparrow comes
And sees without its eyes


Don't forget who you are even though you are hurt
You are caught in a wire and soon it will burst


You can cry
Drinking your eyes
Do you miss the sadness when it's gone? (gone)
And you let the river run wild (gone)
And you let the river run wild


I'm a shadow, I am cold
And now I seek for warmth
Stitch your skin onto my skin
And we won't be alone


Don't forget who you are even though you're in need
Like a bird in the night, your emotions deserves to be freed


You can cry
Drinking your eyes
Do you miss the sadness when it's gone? (gone)
And you let the river run wild (gone)
And you let the river run wild
You can cry (you can cry)
Drinking your eyes
I don't miss the sadness when it's gone (gone)
And the feeling of it makes me smile (gone)
As I let the river run wild


You can cry, you can cry, you can cry
To where the ocean is bigger
Become a part of the river
You can cry, you can cry, you can cry
Can you let the river run wild?


You can cry (you can cry, you can cry, you can cry)
Drinking your eyes
Do you miss the sadness when it's gone? (gone)
(You can cry, you can cry, you can cry)
And you let the river run wild (gone)
And you let the river run wild
You can cry
(You can cry, you can cry, you can cry)
Drinking your eyes
(To where the ocean is bigger)
I don't miss the sadness when it's gone (gone)
And the feeling of it makes me smile (gone)
As I let the river run wild


You can cry
Drinking your eyes
Do you miss the sadness when it's gone?
And you let the river run wild
And you let the river run wild


Source: LyricFind
Songwriters: Aurora Aksnes / Magnus Aaserud Skylstad / Odd Martin Skalnes
The River lyrics © Budde Music Publishing GmbH, Ultra Tunes

 

 

*追記

>>家族としてなら寧ろそれでいいのだと思う

というのは「僕にとっての僕の家族の中」の話です。

それぞれの家族の関係についての意見じゃないよ!いろんな家族があっていいと思うよ!家族なんてなくてもいいと思うし、縛られても縛られなくてもいいと思います!