感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

良い所、長所の時間 優しい僕 温厚な僕

小中学生の頃、自分の良い所を挙げるという時間が度々あった。それがとても苦手だった。

良い所って自分で言うものなのだろうか。言われれば言われるほど分からなくなる。

 

クラスのみんながその子の良い所を挙げて、それを3つずつだか似顔絵と共に貼り付けられるというのもあった。

それも意味がわからなかった。

 

子供の頃は違和感を感じては悩んだ。こんなことで悩む自分がおかしいと思った。

でも今考えればそんなレッテル貼りを許容できないのは当たり前。頭にくる。

 

僕がつけられるイメージはいつも『優しい』『温厚』だった。皆にそのイメージで話しかけられるのが気持ち悪かった。

 

個人がそう言ってくれるのはいい。その人がそう感じてくれるのだから。それはその人の感じたことだから否定的なことでも許容できる。

 

でも集団の中で僕が『優しい』と定義されたら、そうでなくてはならなくなる。気にしなければいいと言われても、そういう風に見られたらそうもいかない。

 

更に自分自身を自分自身で定義しなければいけない時間は更に矛盾が食い込んでくる。

「優しいんだから自分は優しいと言えばいいんだよ」そう言われても、それがどれだけ難しいことか。

優しい人が自分のこと優しいと言う?

そもそも僕は優しいと思っていない。

 

仕方なくいつも『温厚』の方を選ぶ。それも不服だった。

温厚温厚ってなんなのだろう。温厚じゃなきゃ僕じゃないのだろうか。

 

自分で自分の性質を出さなければならない時、否定的なことの方が抵抗なくスラスラ出てくる。ポジティブなことほど難しい。

分からないけど、矛盾する分否定的な方が受け入れ易いんだろう。嘘となった場合、そちらの方が人を傷つけないしがっかりさせない。多分そのせい。

 

それ以来自己紹介は本当に苦手になった。適当な言葉が見つからないから。

今でも名前言って「よろしくお願いします」で済ますことが多い。

煩わしい。

 

 

『優しい』というのは今も食い込んでいる。

身体的特徴でスネ毛といじめられた彼は帰って来なかった。僕は普通のクラスメイトだと思っていて、家に遊びに行ったこともあった。でも彼が不登校になってから僕は一度しか遊びに行かなかった。何もしてあげられなかった。

彼はとても優しかった。僕なんかよりずっと。でもみんなは彼を優しいと言わなかった。

 

胸毛というレッテルを貼られた子も戻って来なかった。関わりがなかったから何もできなかった。でも何もできなかったのは傍観だったのではないかと今でも思うことがある。

 

その僕が『優しい』と言えるわけがない。ましてや自分の口で。

 

学校は残酷な空間だと思う。僕もその空間の一部だった。

僕は違和感を感じても、多少いじめられることがあっても、なんとかやって来れてしまった。高校時代の出来事は別として。

 

帰って来なかった子は沢山いる。僕は彼らの違和感や苦しみを感じられる側だったかも知れないのに、何もしてこなかった。正に残酷な空間の一部だった。

 

皆自分としてそこにいただけなのに。

 

良い所だとか長所だとか、イメージが先行する限りレッテルはレッテル。プラスだとかポジティブなんて結局彼らの理屈でしかない。

その態度の成れの果てがスネ毛や胸毛と人を定義する態度だと思う。

 

 

あーあ、せっかく海に来たのだからもっと楽しいこと書きたかったなー。偏屈おじさんになりそう。

 

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*追記

『思いやりがある』もあったなぁ。

じゃあみんなは思いやりがなかったの?そんな筈がない。

 

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やっと人のいないとこまできた。

僕はいつ海に還れるのだろう。