感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

牛乳と下痢 給食 食育

この前ミルクが多めの飲み物を飲んだら下痢をした。小・中学校の頃はしょっちゅうおなかを壊していて、自他ともに認める胃腸が弱い子だった。思い当たる節は色々あるのでどれが原因だとは言えないが、給食と弁当の時間には毎日牛乳を飲んでいた。

そんな胃腸の弱い子だった僕も今は快便の日が多い。お腹を壊すのは外食をした日か特殊なものを食べた日か風邪を引いた日かお腹が冷えた日という事で、大体原因が分かってきた。牛乳もその一因ではあるようだ。

 

日本の食育を意識した給食システムは僕はとても素晴らしいものだと思う。ただ一つ、出されたものを全て食べなければいけないというシステム以外は。

出されたものを残さず食べるという意識は、食べ物への感謝、マナーを育むという意味では必要なことだと思う。その中で食べ物の栄養やバランスを学ぶという食育も良くできているなぁと思う。

でも出されたものをただ全て食べるだけでは、価値観やマナーを植え付けること、そして知識の導入にはなっても、そこで止まってしまう。

 

食という根源的な命の営みは、何より主体性が大事ではないかと思う。最終的には自分で食べるものを決め、食べるという部分に持っていくことに焦点を当てることが必要ではないかと思う。

ただ出されたものを全て食べるだけでは、食に対する主体性が育たないばかりか、6年間という経験を経て、食べ物に対する認識も凝り固まってしまうかもしれない。

 

我々は不自然な中で不自然な生活をしている。食べるものも不自然で、それを科学で解明しようとするが、科学は色んな『一面』しか捉えることが出来ない。

牛乳一つとっても、とても不自然な飲み物なようだ。乳児がいなくても母乳が出続ける不自然な牛に、穀物や肉骨粉という不自然な餌を与え、不自然な抗生物質も与え、不自然な量を不自然な期間搾り続ける。そこには教えられたような栄養素以外に色々な不自然なものが紛れていて、人間にとってはとても不自然な飲み物である上に、日本人にとっては更に不自然な飲み物のようだ。しかし、広告と同じで栄養の一部という一面だけを見せるので不自然さに気付かない。売る側にとっては都合がいいのだろうけど、下痢を自分の身体のせいだと思っていた人間としてはたまったものではない。

 

不自然なものだらけの中で食という命の根源とどう向き合っていくのか。それは結局は一人一人の判断に委ねられる。学校の食育は導入に過ぎないが、それが導入だという事は誰も教えないがために常識・教養として刷り込まれてしまう。

学校というオールドファッションな小社会全体に言えることだが、主体性という言葉を使うのであれば、その体質からは抜け出さなければいけないと思う。

 

僕は学校で9年間牛乳を飲んできたが、それを疑ったことはなかった。不味いし嫌いだったけど飲んでいた。今思えば身体が拒絶していたのかもしれない。味覚というものは本当によくできていて、必要なものは自然と身体が欲す。でも「お残しはいけません」という忍たま乱太郎の食堂のおばちゃんのような標語の中で慣らされてきた。でも口は慣れることができても胃腸は慣れることはできない。

 

つまるところ、この『疑ったことがなかった』という結果が給食のシステムの良い点でもあり悪い点なのだと思う。同じようなケースは沢山あるようだ。

常識として導入することは集団相手には効率が良いが、やり方によっては主体性を奪うことに繋がる。それに起因する問題が現状とても多いと思う。そしてその常識はその時点でのある集団の一般的な認識、見解であって、それが正しいというわけではない。数年ごとに変わる可能性すらある。

それを食という生命の根源的な活動に適用してしまうのは、危ないのではないかなとも思う。

象徴的な栄養素ばかりに偏る見方が導入されてしまうのも良くないと思う。

 

給食システムは食育の導入としては素晴らしいと思うけど、その先の主体的な食生活に繋がらなければ、洗脳で終わってしまうのではないか。折角世界に誇っても良い素晴らしいシステムを築いてきたのだから、時代に合わせて進化させて欲しいと勝手ながら願っている。

 

食べ物がただでさえ溢れている現代、我々は『食』をしっかりと捉え直す必要があると思う。 戦後の栄養がなかった時代の価値観に基づいた給食のシステムや、朝昼晩しっかり食べるという価値観もさすがに古くなってきていると感じる。どんぐりを食べようとは言わないけれど、数万年の尺の中で見ればほんの一瞬のこの数十年の価値観に囚われるのではなく、一人一人がそれぞれに合うと思う『食』を見つけていくのが生命活動なのではないかなと思うのです。

 

 

ここだけの話、小中学生の頃は何回下痢をお漏らししてパンツをトイレに捨ててスースーしながら帰ったかわかりません。久々に牛乳で下痢をして思い出したその恨みつらみが原動力でこの文章を書いたのかもしれません。何回かあるけどどれもバレたことはなかった!はず…