感じたこと、思ったことノート

主観の瞬間的垂れ流し、混沌の整理、迷子の自分探し。井戸の底から雲の上まで。

水の旅

水の多くは移動し続ける。さっき飲んだ水もそうだろう。

気体となり気流に乗り、雨として山に降り、地中を通って再び地上に出て、貯水池を通り、浄水場を通り、パイプを通り抜けて出てきて、煮沸され、残ったものが冷蔵庫で冷やされて、コップに入れられ、胃に入った。

それらはどこからかくっついたり離れたりしながら一群となってコップにまで来た。ずっと一緒の分子もあるだろうし、出会ったばかりのもあっただろう。

ドラマチックな旅を経て胃に入った。

 

多くは尿となってとなって数時間後には排出され、パイプを通り下水となって海へ出て旅を続ける。同じく汗や他の形で排出されるものもあるだろうし、暫く僕の中を循環するものもあるだろう。僕も60パーセントは水だから。それでもやがて元の旅に戻る。

途中で蒸発してしまったものや、コップに残ってしまったものも旅に戻っている。

 

僕は単なる経路に過ぎない。僕の身体から『排出』されると書いたが、水からすればただ通っているだけだろう。

年月をかけ、地球規模で大きな大移動をしている途中、たまたま僕の中を通った。運命的。

 

中には野菜となったり、牛や魚の血肉となった水が食物として僕に入ってくる。それらも同じような旅を続ける。因果だなぁと思う。

 

僕がワニやゾンビに食べられれば、僕を構成していた水がそれらを構成する一部になるかもしれない。この妄想は小さい頃によくしていた。水としてではなかったけど。自分の一部がそのものの一部になるのは、死を恐れる子供だった僕にとっては、何だか安心感があった。水と捉えるとより色んなものに適応できて面白い。

そんなワニやゾンビに入った水も、結局は旅を続けることになる。

 

別々の人間を通る水が、愛し合う2人の表面で交わる事も起きる。そういう行為も水の移動を想像すると壮大で美しい。

 

中には氷河となって長い年月とどまっているものもあるだろうけど、多くは旅をしている。もし温暖化や何かの現象でその氷が解けたなら、束縛から解かれ、旅を再開することが出来る。感動的。

 

 

中には何かの拍子に宇宙空間に飛び出してしまったものもある。それらは今どこでどんな形をしているのだろう。そんな英雄的な水とつながりがあったかもしれない水が世界中に散らばって今も存在している。

 

地球がなくなっても水は形を変えて存在し続けるだろう。そう思えるのは何だか救いだと思う。

 

オチはないのです。たださっきそう思っただけだから。

水の移動、なんと壮大でドラマチックなのだろう。尺度や角度を変えればもの凄く沢山の妄想ができそう。