マジョリティ・マイノリティの自然 国
多数派、少数派という言葉にはいろんな対象となる概念がある。身体的特徴、知覚、認識、判断、趣味、趣向、人種、民族、言語など色々。
ひとりの人間が自分の中で変われる部分で言えば、マジョリティの中にはマイノリティと同じ性質を持っていても、そちら側に合わせることが出来た人もいるのだろう。それは合わせることに耐えられるという部分に関してはマジョリティ側の性質を備えてたのかもしれない。もしくは、苦しみながら無理に合わせているのかもしれない。
対してマイノリティはマジョリティにはなれないためにマイノリティとなる。染まることが出来ない、枠そのものに合わせられなかったり、枠の中の同調圧力に耐えることが出来ないからマイノリティのまま。それも苦しいものだ。
『合わせられない』『染まれない』『型にはまれない』これは前述した多くのマイノリティが持っている性質なので混同されがちだが、それぞれの性質とは切り離して考えるべき別のものだと思う。この性質がある為にマイノリティがマジョリティ側に合わせられず、マイノリティとして苦しんだり、違和感を持ち続け、双方を行ったり来たりすることになっている気がする。そしてこの性質自体もマイノリティな性質。
結局はこの性質があると他の多くの人に比べて『自分』という概念の確立が強く必要になるんだと思う。マイノリティがマジョリティに対して自己のアイデンティティを守る為に枠を必要とするように、個自身を確立することで枠で固める必要がある。僕自身その性質があるが、内省するところではこれは物心つく前からあった気質だった。
原因となっている機能は色々読んで何となく分かっているのだけど、まだ僕から説明できる段階ではないです。色んな人が研究済みなので、興味があれば探してみてください。
それはそれとして、「マイノリティは(この性質が強いので)自身が変わること、型にはめられることに苦痛が伴う」、「マジョリティは(この性質が弱いので)他人の枠に合わせて生きることが出来る」としてみる。
僕が経験しているように、そして研究されているように原因が気質だとすれば、この性質が強いことも弱いことも自然な筈。個ごとに違う多様性の揺れ幅。であるならば自然のデザイン。
どちらが良い悪いという事ではなく、ただそういう風に出来ているとここでは捉える。
これはどこかで読んだのだけど、この性質は創造、変革、発見などを担ってきたらしい。マジョリティ側がこの性質の代わりに持つ性質は社会の安定、効率化、団結の勢いなどを担ってきた。
双方が必要でこのバランスで成り立ってきた。それは人間が社会性を利用してここまで成り上がったのだから、種のレベルで見れば恐らく正しいと捉えられる。
であるならば、この性質に関してマイノリティはマイノリティであり、マジョリティはマジョリティというデザインであるならば、それ自体が自然なのかもしれない。その捉え方をするとマイノリティのこの気質による苦しみは生まれた時に宿命づけられていると言える。
この性質を持った人々はこの苦しみの中に見たもの、得たものを原動力として、創造、変革、発見等々に繋げてきたのだと思う。それらは色んな所で触れることができ、それらを担った人々の半生から垣間見ることが出来る。
とはいえ現代の日本社会は毎度書いているように、僕には凝り固まり過ぎているように見える。少なくともここまで人が死んだり心を壊すのは自然ではない。マジョリティ側の同質性を優先し過ぎ、資本主義、物質主義を正義として効率ばかり優先し、同質から外れた人々を排斥し過ぎたせいで偏りに拍車がかかり、行き詰っている。
前置きのつもりがいつもの流れになってしまった。概念は上位・下位の概念で表すとイメージ的にしっくりくることがあると思う。
今朝車を運転している時、これらの概念を国に当て嵌めて遊んでいました。それが書きたかったのです。
マイノリティの性質を持つ人は小国。小さくても自国民がアイデンティティを主張するので別の国とは相容れない。覇権国家と過度な関係を結ぶのも拒む。国民が許すのは経済協力などの関係のみ。
マジョリティ側は覇権国家の衛星国にする。大国に従ったり、傘下に入ることを国民は是とする。アイデンティティよりは生活と安全が大事。経済競争も得意。中には共同体を作る国もある。
マジョリティ衛星国は覇権国家のイデオロギーを受け容れている。それに不快感はなく、恩恵、安心感ばかりを感じている。マジョリティ衛星国たちは友好関係にあるマイノリティ小国にイデオロギーを共有することを持ち掛ける。
マイノリティ小国はそのイデオロギーを受け容れようかと揺れるが、その度に国民は自らのアイデンティティを謳い暴動を起こす。受け入れる為には国民を鎮圧しなければならない。しかしそれには終わらない痛みが伴う。頭だけの独裁政治による統治をすれば受け入れられるが、レジスタンスは消えたわけではなく潜伏している状態。いずれ国はまた混乱に陥る。
マジョリティ衛星国は何故こちら側に来ないのかと理解できない。暴動ばっかり起こしておかしいんじゃないか?という認識をする。
マイノリティ小国は最終的にアイデンティティを主軸としたポリシーを打ち出し、他国の干渉を減らしながら独立も保っていく努力をすることになる。大国や多国間の協力関係による安心、経済的な恩恵は得られないが、国内の安定のためには仕方がない。
それでも国家群からの圧力は続くので、イデオロギーを共有する小国同士で同盟を組んだりもする。めでたしめでたし
こんなことを考えて遊んでた。書き出してみると結構無理があった。
ともあれ、その種の人を国で例えるならば、一番大事なのは独立と主体性を国民(本能的なレベル)に分かる形で保つことだと思う。大国の動きに敏感なのも、その影響に国内が揺れやすいのも仕方がないこと。大事なのはアイデンティティを確立し、ポリシーをしっかりと掲げ、国の意思を統一すること。そこで初めて防衛の姿勢も外交の姿勢も整い、1つの国として安定してくるのだと思う。その上で先制攻撃も辞さない国民ならそれでいいし、福祉教育に力を入れる国民ならそうすればいいし、芸術に重きを置くならそれでいい。国の数だけ在り方があるのだから。
先ずは状況を認識し、国民の不安を理解して国を安定させることだと思う。イデオロギーでも価値観でもなんでもいいけど、外からの干渉に揺れる自国民を否定しては正しい安定は得られない気がする。自然なことは受け入れ、その上で安定してこそ世界からも見える形で独自の発展ができるのだと思う。
不自然は正さないといけないけど、それが無理ならば自分にとっての不自然に身を置かないことが一番だと思うのです。その為には自分を知り、自分の自然を知ることではないでしょうか。
また迷走気味になってしまったけど、おしまい。
*タイトル入れ忘れてた!